都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

米軍経費負担

相当の額だとは思っていたが、85パーセントまでとは思わなかった。

これがモデルというのなら、他の国はたまったものではない。

政府はこれまでつまびらかにしなかったのではないか。そして野党もマスコミもまったく批判しない。これまで許していたことが後ろめたいのだろうか。テレビ番組の司会者が、アメリカがさらなる要求をしてくることに不安を示すのが情けない。さすがに専門家の答えはしっかりしていたが、ジャーナリストの魂は何処へやら。少し反対があった方が、安倍首相も交渉しやすかろうに。

独立国として胸を張るには程遠い。

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マティス国防長官の頼もしさ

獰猛いや勇猛で知られる海兵隊出身。湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と、激戦地を戦い抜き、失った部下の家族をすべて訪問し、圧倒的な信頼と人望がある。膨大な戦史と哲学の本を読み、深い知識がある。日本にも勤務し、同盟国である日本の国旗が紛失したのを、徹底的に探させて、数日後に見つかったという。

マティス国防長官は、軍人らしいハッキリした発言で、尖閣は安保の範囲であり、同盟国への攻撃を許さない、と言い切った。

日本人は頼もしさを感じたのではないだろうか。

考えてみれば、今の日本社会には、こういった人物像が見当たらない。はるかに遡って、東郷平八郎山本権兵衛大山巌児玉源太郎山本五十六、といった名前が浮かぶ。つまり戦前は頼もしき軍人がいた社会であり、戦後はいなくなった社会である。

所属集団の任務に忠実で、強靭な精神と肉体と知識と知恵を有し、やるべきこととやるべきでないことを峻別し、やるべきことは断固としてやる。今の日本では、軍人に限らず、そういう人物像が理想とされていないような気がする。

誤解してもらいたくない。軍人を賞賛しているのではない。

これまで書いてきたように、その社会がもつ「政治的性格」について言いたいのだ。

 

坊ちゃんと不良・日米首脳会談

あるテレビ番組(日曜日の朝のフジテレビ)で「安倍首相はお坊ちゃんだが、不良と付き合うのがうまい」という発言があった。

なかなか巧みな表現だ。

たしかに安倍総理は、祖父も総理大臣、父も総理候補の政治家、妻は大企業のお嬢さんという、お坊ちゃんである。

一方、トランプ、プーチン、ドゥテルテなどは、国益と信じることのためなら、そうとうのこともやる強面で、不良という言葉は(そう悪い意味ではないという前提で)かなり近いイメージだ。

われわれは「柔よく剛を制す」安倍首相に期待せざるをえないのだが、外務省の作戦は、当面、安保や貿易の問題衝突を避け、ゴルフでもして「ロンヤス関係」のような信頼関係を築くということのようだ。

しかしながら、そのツーショットが、世界のトランプ反対潮流において、日本という国の反動的、特に人種と宗教に対する偏見の印象につながるのではないかという心配もあるようだ。真っ先に会談したイギリスのメイ首相さえも、特定国の入国拒否を厳しく批判した。

日本人は、こういった人種と宗教の問題に不慣れであり鈍感である。意見の違いを棚に上げて握手することを「政治的度量」ととらえるが、世界は逆に「思想的立場」を鮮明にすることを政治家の条件ととらえる。

戦後日本の外交は、アメリカ追随と平和主義のあいだで揺れ動いてきた。「同盟」というものは、平和にとって諸刃の剣である。戦争の抑止力にもなれば、加担力にもなる。これまでのアメリカは常に国際合意の側にあろうとしたが、そこから外れるとなれば、日米同盟もかつての三国同盟のような様相を呈するのだ。とはいえ現在の時点で、アメリカとの関係が悪くなることは避けなければならないだろう。

そう考えると、この会談は、結構重要な意味をもつ。

「ゴルフで仲良し」というだけの問題ではなさそうだ。

 

野生社会と管理社会

小池百合子ブームの前は田中角栄ブームであった。

これとトランプ現象との関連はあるだろうか。もちろん彼が大統領になる前だが、先進社会が豪腕のリーダーを求める傾向とは関連があるだろう。

トランプ、プーチンサルコジベルルスコーニといった面々は、マスメディアと良識派知識人の顰蹙もなんのその、強引に自説と政策を押し通す。日本でこれに対抗できそうな人格の政治家は、故人ではあるが田中角栄ぐらいだったかもしれない。

日本では、田中逮捕以来、政界から大物が消えたばかりでなく、小佐野賢治、真藤恒、江副浩正島桂次堤義明といった大物財界人も、何らかの追及を受け、多くは失脚した。こういった野生味のある大物に共通するのは、強烈な意志力と決断力と行動力である。そして時に犯罪スレスレと多彩な女性関係。そういう野生味のある人物が活躍する社会を「野生社会」と呼んでみよう。

つまり日本は、政界も財界もあるいはマスコミも、この数十年で一挙に、野生的な大物から管理された小物の社会すなわち「管理社会」に転換したのだ。そして同時に、国力が著しく低下した。

誤解しないで欲しい。僕は「野生社会の方が管理社会よりいい」と言うのではない。

ここで言いたいことは、野生社会から管理社会への転換が、極めて短期間であるということ、そしてそれが国力低下と同調しているということである。

そしてもう一つ。どこの国でも国民は、マスメディアと良識派知識人がどう言おうと、野生味のある強いリーダーを求める部分があるということだ。

これまでの論調と合わせれば、野生社会=政治的B面=風土力・vs・管理社会=政治的A面=都市力、ということである。

 

ラスコーの空間秩序

ラスコーの洞窟壁画の展示を見に行った。

細長い洞窟の中に、馬、鹿、牛など、身近な動物たちがダイナミックなパノラマとなって展開される。もちろん写真のような写実性ではなく、ある特徴を誇張する筆法だが、生き生きとした動きをとらえる描写力に感心せざるを得ない。

しかし僕の興味を引いたのは、牛などの足元に描かれた、格子状の模様である。

都市と建築の根源的な歴史を考えてきた者に、地面に描かれた直角格子は重要な意味を投げかける。人間にとって、平面上の格子は、都市や建築における空間秩序のもっとも基本的な形であるからだ。数学的にも、直角座標は平面上の位置を示すもっとも有効な方法である。

考古学的には、意味が特定されていないようだが、そこに描かれた動物たちが、すべて人間にとって危険な種ではなく、比較的おとなしい、家畜的な種であることからも、もちろん遊牧や放牧以前の、狩猟採集の社会ではあるが、何らかの、場所や、領域や、所有や、所属や、といった意味をもつ、空間的な秩序の記号性を感じるのだ。

都市や建築の最古の遺跡が現れるのは、ずっと後世のことだ。

しかしここに、ホモ・サピエンスの歴程における、それに近い空間概念の萌芽を示す象徴が見られるのではないだろうか。

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都市化の暴力

西部戦線異常なし』という映画は、ドイツの若い志願兵が戦死するまでの、塹壕線における恐怖と苦悩を描いている。

第一次世界大戦においては、歩兵が機関銃の弾幕から隠れる必要があり、塹壕戦とならざるをえない。ナポレオン戦争のような勇壮な歩兵戦、騎馬戦は過去のものとなった。またこの戦争において、戦車、戦闘機、さらに潜水艦までが開発され、人間が人間をではなく「機械が人を殺す」戦争となったのである。

以来、戦争の勝敗は、都市力=文明力=機械力によって決定されると考えられた。

ドイツや日本が緒戦を有利に運んだのも、その都市力が有効に機能したからであり、結果として負けたのも、連合軍特に米軍の都市力が総合的に上まわったからである。近代人は「都市力」を重視し「風土力」を軽視した。

しかし第二次世界大戦以後の、東南アジア、中南米、中近東における戦いは、少し趣が違っていた。機械力をもたない国々は、アメリカやソビエトという突出した都市力に対して、ゲリラ戦という「風土力を駆使する戦法」に打って出たのである。冷戦の終結は、西側の勝利というより、ゲリラ戦やテロリズムなど、非正規軍戦争の常態化というべきかもしれない。

 

人間の社会においては、常に都市力が風土力を凌駕するというわけではないのだ。

むしろ両者は拮抗する力である。

 

戦争と「都市力・風土力」

前に、ベトナム戦争で、アメリカはベトナムの「風土」に負けたと書いた。

歴史を振り返ってみると、これに似たことは何回か起きている。

ナポレオンとヒトラーがロシアで失敗したのは、ともに「冬将軍」すなわち厳しい吹雪による。

ナポレオンとその同盟軍は、七十万近い大兵力をもってロシアに侵攻したが、クトゥーゾフ将軍はモスクワをあっさり明け渡して撤退、市民も疎開する。空になったモスクワを占領したナポレオンは、期待した降伏の報もなく無為な時間を過ごさざるをえなかった。兵站が破綻したフランス軍は帰還を決意する。しかし途中、猛烈な「吹雪=冬将軍」とロシア軍の追撃に見舞われ、寒さと飢えで壊滅状態となった。

ナポレオンはその前のスペイン侵攻において、一般市民からなる非正規軍の激しい抵抗に会って失敗している。「ゲリラ」という言葉はこの戦いから始まったとされる。これも、スペイン、ポルトガルという地域の、ヨーロッパ中央部とは異なる社会風土を理解していなかったことによるのだろう。「ピレネーを越えればヨーロッパではない」という言葉もあるほどだ。

ヒトラーのドイツ軍はバルバロッサ作戦と称してポーランドからソビエトに侵攻した。ナポレオン時代との違いは機械力であり戦車戦となる。ドイツ軍は機甲師団による電撃作戦でたちまちレニングラードを包囲、モスクワに向かったが、クレムリンにあと一歩のところで冬将軍に見舞われた。兵站が伸び切っていたため冬季装備が届かず、兵力を集中させたソビエト軍の猛攻によって挫折している。その後南へ向かってスターリングラードを攻撃するが、逆に包囲され、やはり冬季の戦いでソビエト軍に敗北している。

日本の対中戦争も、実は風土との戦いだったのではないか。

盧溝橋事件を引きがねにして、日本は中国との戦争に踏み切る。局地戦で終わらせるはずが、北支、上海、南京と深入りし、次第に泥沼化した。結局これが、広島、長崎の惨劇にまでつながったのである。大本営参謀本部や軍令部で作戦を指揮したエリートたちの頭脳は、西欧式の軍事理論と日本式の大和魂で満たされ、中国の自然風土、社会風土を理解していなかった。日本よりはるかに奥の深い国なのだ。