稀勢の里が感動の優勝を果たした。日本中が感動した。僕も感動した。
しかしふと、モンゴル出身の力士が敵役になっていることに気がついた。
あれだけ日本を愛し、ついに帰化して日本人となったドナルド・キーン氏が、リオ・オリンピックの報道を観ていて「ファシズムを感じた」と発言したことを想い起こす。
この国は
天皇を家長とする情緒的家族主義に一体化しやすい。そして国民はそのことに気づいていない。
もちろん日本人が日本人を応援するのは当たり前だが「日本人とは何か」という問題が残る。国籍もDNAもあてにならない。文化論者として僕は、日本文化を深く理解する人間(日本語を話し、日本社会に溶け込むなら、なおさら)が日本人であると考えたい。
それにしても、稀勢の里も照ノ富士も、心配なのは怪我である。
場所中は気が張っているから痛みを感じないが、場所が終わったとたんに動けなくなるという。本人が出ると言っても周りが止めなければいけない。もしそこに大和魂がはたらいたとすれば、そして日本社会と相撲界がそういう雰囲気をつくっているとすれば、「戦力の不足を大和魂でおぎなえ」と言った大本営と同じであろう。
真の大和魂は、異文化に対する寛容と合理的な判断であるべきだ。