昨晩テレビで「ショーシャンクの空に」を観た。
何度見てもいい映画だ。
ストーリーはよくある脱獄劇だが、副主人公モーガン・フリーマンのナレーションがいい。言葉が哲学的でかつ詩的なのだ。
印象的なシーンは、年老いた受刑者が50年ぶりに釈放されて街で働きはじめ、自分の居場所がないこと感じて首を吊る場面である。
主人公の脱獄成功と所長の悪事がばれるのは快感だが、この映画のポイントは、刑務所の内部社会と一般社会との対比であり、刑務所社会に慣れた人間にとって一般社会が住みにくいということである。
「刑務所の高い壁を、最初は憎む。やがて慣れる。そしていつのまにか依存するようになるんだ」
このセリフがこの映画の精神を端的に表現する。
結局、主人公と副主人公はメキシコへ逃げてハッピーエンド。アメリカの犯罪映画にはそういうエンドが結構ある。アメリカという監視社会にとってメキシコが隠れて生きる別世界なのだが、僕は思った。
トランプの壁が建設されたら、アメリカ人はメキシコへ逃亡できなくなって、息苦しさを感じるのではないか。経済的に困るのはメキシコ人かもしれないが、精神的に困るのはアメリカ人かもしれない。
パレスティナにも壁、EUにも社会的な壁、もちろん日本にも壁はある。人間集団は、常にある種の「壁」と、そこを抜ける「通路」を必要としているのかもしれない。