単なる暴行から、モンゴル力士会の問題、貴乃花親方の問題と発展した「日馬富士事件」は、日本文化における「排除」の力学を表している。
三つの世界
最近、人間には三つの世界があると考えるようになった。
一つ目は、この現実世界。
二つ目は、小説、演劇など、フィクションの世界。
三つ目は、哲学、思想、宗教、祈りなどの精神的な世界。
一つ目は別として、二つ目は、映画、テレビ、ゲーム、ネットなど、近代文明とともに拡大している。それと同時に、三つ目が貧困化しつつあるような気がする。
遅きに失した感もあるが、僕はこれから三つ目の充実をはかりたい。
日米同盟の文化論
日本とアメリカの同盟について、文化論的に書いた。
これまでの研究を元に、建築と、文化と、日米関係を足早に辿ったので、論文調になったが、面白い論考だと思う。
「陸王」と日本の「ものづくり魂」
テレビドラマ「陸王」が面白い。
銀行員だった池井戸潤の原作ドラマは、「半沢直樹」など、リアリティとドラマ性が合体しているが、特に日本社会の「ものづくり職人」に焦点を当てている。
彼が銀行員だった時代に、魂を持った「ものづくり職人」を十分に援助できなかったことが背景にあるのだろう。本来銀行は、将来性のある人と技術と企業に資金を提供するものだが、バブル時代は担保となる不動産に金を貸した。
最近、あるイタリア人と話していて、日本のものづくりは、すべてがハイテク化したために、ローテクの職人技術が崩壊したのではないかと感じた。イタリアにはまだ手仕事の職人技術が残っているが、それは日本のように先進工業技術が他国を圧倒する時期を経ていないからのようだ。
そしてそのハイテク技術も、団塊の世代が退職することによって、十分に機能しなくなっている。現在、日本を訪れる外国人が感心するのも、江戸時代からの古い技術にである。
ひょっとすると、世界を席巻したハイテク技術そのものが、底辺の薄いバブル的な現象だったということになりかねない。
たくさんのシン・ゴジラ
テレビで「シン・ゴジラ」の放送があった。
映画館で観たときほどではないが、なかなか迫力があり、反響も大きかったようだ。この映画のポイントは、単なる怪獣ハザードではなく、非常時における日本政治の決断できない状況とアメリカの関与が鋭く描かれていることだ。
僕は昨年の9月、この映画の感想をこのブログに、「1・崩壊のリアリティ、2・アメリカとの関係、3・福島との関係」と、3回に分けて書いた。
そのすぐ後、某大新聞に政治学者御厨貴さんの論文が出た。内容は似ていたが、時間的にもパクリはありえない。むしろ政治学的にも、そういう評価になるのだということを確認した。
米大統領がトランプになってから、またそのアジア歴訪のあと、この映画を観ると新たな感慨がある。
日本の周囲には「たくさんのシン・ゴジラがいる」ような気がするのだ。