都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

三つの世界

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最近、人間には三つの世界があると考えるようになった。

一つ目は、この現実世界。

二つ目は、小説、演劇など、フィクションの世界。

三つ目は、哲学、思想、宗教、祈りなどの精神的な世界。

一つ目は別として、二つ目は、映画、テレビ、ゲーム、ネットなど、近代文明とともに拡大している。それと同時に、三つ目が貧困化しつつあるような気がする。

遅きに失した感もあるが、僕はこれから三つ目の充実をはかりたい。

「プライムニュース」で「昭和の骨」

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「プライムニュース」というBSの番組に、石井一、堺屋太一中西輝政の三人が出演していた。

最近テレビで顔を見なくなったので、もう過去の人かと思ったら大きな間違い。内容については異論もあるが、独特の意見をしっかり主張する。「昭和の骨」を感じた。

それに比べて、最近の地上波の番組は、キャスター、コメンテイター、タレントが、ステレオタイプなことを言うばかり、実に色あせている。政治も劣化したが、マスコミも劣化している。

日本人の言論から「骨」が抜けている。

 

 

日米同盟の文化論

日本とアメリカの同盟について、文化論的に書いた。

これまでの研究を元に、建築と、文化と、日米関係を足早に辿ったので、論文調になったが、面白い論考だと思う。

https://thepage.jp/detail/20171114-00000004-wordleaf

日馬富士と「人間の霹靂」

青天の霹靂であった。

体が小さいのを、気力と稽古でカバーし、普段は人格的にも申し分なく、プロはだしの絵を描いて売り上げを病気の子供にと、人間の鏡のようだった横綱の暴行事件である。

それが相撲協会のゴタゴタに絡んできそうだ。

誰もが「酒は怖い」と考える。

しかしそれだけではない。人間そのものの怖さを感じる。

批評家の小林秀雄が「死んだ人間は立派だが、生きている人間は何をしでかすか分からないから始末が悪い」という意味のことをどこかに書いていた。

「人間の霹靂」というものがあるのだ。

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「陸王」と日本の「ものづくり魂」

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テレビドラマ「陸王」が面白い。

銀行員だった池井戸潤の原作ドラマは、「半沢直樹」など、リアリティとドラマ性が合体しているが、特に日本社会の「ものづくり職人」に焦点を当てている。

彼が銀行員だった時代に、魂を持った「ものづくり職人」を十分に援助できなかったことが背景にあるのだろう。本来銀行は、将来性のある人と技術と企業に資金を提供するものだが、バブル時代は担保となる不動産に金を貸した。

最近、あるイタリア人と話していて、日本のものづくりは、すべてがハイテク化したために、ローテクの職人技術が崩壊したのではないかと感じた。イタリアにはまだ手仕事の職人技術が残っているが、それは日本のように先進工業技術が他国を圧倒する時期を経ていないからのようだ。

そしてそのハイテク技術も、団塊の世代が退職することによって、十分に機能しなくなっている。現在、日本を訪れる外国人が感心するのも、江戸時代からの古い技術にである。

ひょっとすると、世界を席巻したハイテク技術そのものが、底辺の薄いバブル的な現象だったということになりかねない。

北朝鮮財政赤字も危機だが、日本の本当の危機は、ローテクとハイテクを総合した「ものづくり魂」の消滅である。

たくさんのシン・ゴジラ

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テレビで「シン・ゴジラ」の放送があった。

映画館で観たときほどではないが、なかなか迫力があり、反響も大きかったようだ。この映画のポイントは、単なる怪獣ハザードではなく、非常時における日本政治の決断できない状況とアメリカの関与が鋭く描かれていることだ。

僕は昨年の9月、この映画の感想をこのブログに、「1・崩壊のリアリティ、2・アメリカとの関係、3・福島との関係」と、3回に分けて書いた。

そのすぐ後、某大新聞に政治学御厨貴さんの論文が出た。内容は似ていたが、時間的にもパクリはありえない。むしろ政治学的にも、そういう評価になるのだということを確認した。

米大統領がトランプになってから、またそのアジア歴訪のあと、この映画を観ると新たな感慨がある。

日本の周囲には「たくさんのシン・ゴジラがいる」ような気がするのだ。