都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

時間を超えるアニメとネット社会

細田守監督の「未来のミライ」というアニメ映画が上映されている。

まだ観ていないが、幼い少年と未来からやってきた成人の妹との物語だそうだ。

「時を駆ける少女」以来、前作「バケモノの子」も、時間を超えるモチーフがこの監督作品の特徴だ。

また少し前に大ヒットした新海誠監督の「君の名は」も同様のモチーフである。

人間は空間を移動することはできるが、時間を移動することはできない。何処にでも誰にでも時間は絶対の存在だ

しかし最近のアニメに時間を超える物語が多いのはなぜだろう

それがタイムマシンとかオカルトとかの意識もなく、ごく自然な日常として観客に受け入れられているのはなぜだろう。

ネット社会の特徴であるのかもしれない。

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時間を止めたい

 

カメラを止めるな・「劇中劇」と「劇外劇」

「カメラを止めるな」という話題の映画を観た。

わずかな経費と短期間で作成したマニア向けの映画が大ヒットして大変な興行収益になっている。

映画に一家言ある人にはたしかにオススメだ。しかし子供づれや気の弱い人にはどうだろうか。

あまり話すと「ネタバレ」になってしまうが、虚構と現実の境目が巧みに「構成」されているところがポイントだ。

そしてこれが盗作だとクレームがついている。少なくとも肝心の「構成」が、ある舞台劇から来ているという。

これは法的にしっかりと結論を出して欲しい。日本では著作権問題が曖昧に処理されるケースが多く、忖度社会とも関係しているからだ。今度の成り行きも興味深い。

いわゆる「劇中劇」の映画だが、さらに場外での問題が話題になって「劇外劇」の要素も加わるとなると、不思議な面白さがある。

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何処へ

 

リアルの世界の危機ともう一つの「世界」

大航海時代にヨーロッパ人が「世界」を発見するまで、われわれの「世界」は、国によってずいぶんと異なるものであった。

16世紀以後、ヨーロッパの「世界観」が世界中に広がってきたのだが、地球の限界も見えてきて、人類は何となく閉塞感の中にいる。

しかしこのところ「インターネット=もう一つの世界」というものが登場した。これは限界がない。とはいえ、リアルの世界のほんの一部でもある。人類の文明による気候変動すなわちリアルの世界の危機と、この「もう一つの世界」が同時進行しているのが今の「世界」だ。

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遠いところ

 

制帽(文明)とハチマキ(文化)・「電子情報化されていない人類」尾畠春夫さん

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夏の一涼


幼児を発見した尾畠春夫さんを捜索隊と比較して「文化が文明を凌駕した」と大げさなことを書いたが、そこには伏線がある。

制帽とハチマキだ。

日本近代建築の父ともいうべきジョサイア・コンドルが来日した明治10年、日本には西南戦争という大事件があった。その結果として西洋追随が決定的となり、コンドルとその弟子たちの設計による洋風建築が林立することになるのだから、この事件は日本建築史にとっても重要な意味をもつ。

さてその西南戦争の様子を描いた錦絵(当時の新聞写真)を見ると、官軍側は制帽をかぶって銃をかまえ、薩軍側はハチマキをして日本刀をかまえている。これを「文明と文化の戦い」だと、これまで著書などに書いてきた。それが捜索隊の制帽と尾畠さんのハチマキに重なったのである。

この人のことが報道されるたびに感心するのは、今の日本人が失っていた人間本来のものが、そのまま出現したような気がするからだろう。それは、情報化社会、管理化社会の中、電車に乗って見まわせば80パーセントぐらいの人がスマホとにらめっこしている状況とは逆の人間像だ。つまり「電子情報化されてない人類=本来の人間」というイメージである。

スマホ、テレビ、パソコンといった液晶画面に釘付けになって人類には、やはりそれは人間本来の姿ではないという気持ちがあるのだろう。

幼児発見者(尾畠春夫さん)の野生と文化

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あっちだ


帰省先の祖父母の家のすぐそばで行方不明になった藤本理稀くん(2)を発見したボランティアの尾畠春夫さん(78)は、真っ赤なハチマキに独特の道具を背負った異様な姿だった。

しかし多勢の捜索隊が発見できなかった幼児を、森の中の沢でたちまち発見して母親のもとに連れ帰ったのだ。

被災地のボランティアとしても有名で、登山経験も豊か、山に道標を建てることもしていたというから、いわば「野生のプロ」だ。

制帽を被って隊列をなす捜索隊では感知できない微かな信号を頼りに行動するのだろう。独特の「文化」が、管理された「文明」を凌駕した感がある。

魚屋さんだったというから小さな生物に対する感覚もあるのかもしれない。

素晴らしい高齢者あり。

国民栄誉賞は有名人よりこういう人に出すべきだ。