よく知られたゲームキャラクターのマリオが、東京の街中から地球の中心に向かって突き進み、その反対側のリオに到達するというCGは、閉会式会場の注目を集めた。
地表に現れたのは、なんと、マリオの着ぐるみを脱いだ安倍首相であった。本物である。日本人は少しおどろき、彼の行動力に感心した。
しかし会場はしばらく沸かなかった。
知られていないのだ。
そもそも日本の政治家は海外にほとんど知られていない。首相の画像がまちがえられたこともある。オバマやプーチンや、サッチャーやゴルバチョフや、チャーチルやルーズベルトや毛沢東やカストロといった世界的に知られた政治家は、明治以来一人も出ていない。
政治家だけではない。スポーツ選手も、イチローは有名だがアメリカに偏っている。サッカー選手も海外で活躍しているが、ペレやロナウドやメッシのようには知られていない。芸能人も同様である。
一時、世界にもっとも知られた日本人はオノ・ヨーコだ、という話があった。ジョン・レノンと結婚したからで、世界は彼女が日本人であるということを意識していなかった。東郷平八郎もけっこう有名だ。大国の圧力を受けているロシア周辺国では英雄で、フィンランドには「トーゴー」という名のビールがある。日本海海戦が海戦史上未曾有の大勝利であったことを示している。
しかしこれらは例外だ。
日本の固有名詞で海外に知られているのは、アトム、キティちゃん、ドラえもん、トトロ、セーラームーン、マリオ、ポケモンなど、つまりマンガ、アニメ、ゲームのキャラクターであり、トヨタ、ソニー、ホンダ、ニコン、セイコー、パナソニックといった工業製品である。個人としての日本人ではなく、集団としての日本人が生み出した個性である。
「個人の希薄」は、日本文化の著しい特質である。
「一つの家」の家長としての天皇制とも関係している。
上手くいけば強みであるが、下手をすれば弱みである。
頼もしくかつ危なげだ。