ブログを始めて、他のブログも見るようになった。
これまで親しんだ活字の文章とはまったく異なる、新しい文章世界が広がっている。面白いものもあり、つまらないものもあり、ためになるものもあり、ならないものもあり、品のあるものもあり、ないものもあり、要するに何でもありだ。
「大衆発信社会」であると感じた。
しかしこの言葉はまだ使われていないようだ。
マスコミという言葉は、マス(大衆)・コミュニケーション(伝達)であるから、近い言葉であるが、実態としてのマスコミは、新聞や雑誌、ラジオやテレビといったメディア(媒体)を通じて、大衆に向かって一方的に発信するもので、マス・メディアと言うべきか。新聞や雑誌には、記者とともに編集者がいて、ラジオやテレビには、タレント、アナウンサー、コメンテイターとともにディレクターがいて、発信者の名も出る場合が多く、つまり抑制が効いている。
ところがインターネットは、まず匿名発言が多い。編集者もいない。責任を取らされない。つまり抑制が効かないのだ。それだけに人間の感情が赤裸々に表出する。逆に言えば、既存のマスコミは、表向きの発言しかしてこなかったのかもしれない。
ネット社会は「誰もが自由に大衆に向かって発信できる」と説明されてきた。
これまでの発信者には、自ら大衆という意識はなかったのだろう。しかしこのところのSNSの発達によって、一挙に発信者の層が広がった。大衆に向かってというより、むしろ大衆こそが発信するような気がする。個人の発言ではあっても、類似の発言が群をなして、一つの世論を形成し、孤独な個人に向かって押し寄せる。
その世論は、活字世界の知識人が形成するこれまでの世論とは異なる新しいタイプの世論である。「大衆世論」と言ってもいい。
つまりブログを書くということは、この混沌とした「大衆発信」に参加し、「大衆世論」の一角を形成する覚悟をもつということだ。
編集者がいないというのは、案外不安なものである。