女優の息子が事件を起こした。
この光景にはデジャブ(既視感)がある。女優A、女優Mと思い浮かぶ。
なぜそういうことになるのだろう。その考察はあとまわしにして、次のように思った。
僕は生母が早く死んで、継母に育てられた。何人か母代わりの人もいた。そのせいか、母親だけに育てられた友人が何人かいる。少しとんがったところもあるが、心を許せる、魅力的な人間だ。
何かあると家庭の問題を詮索するのは、もともとの個人には差がないが環境に原因があるという近代思想からだろう。もう一つ日本には、「家」が責任をもつべきだという社会習慣もある。
しかしまずは、本人の問題として考えるべきではないか。
誰の息子だろうと関係ない。
いろいろな人間がいるのだ。