都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

大衆世論の特質ー大衆発信社会・その4

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これまでの「世論」は、知識人・ジャーナリストがリードした。それが近代社会というもので、啓蒙、開明、進歩、発展という、より良き未来への動力であった。

しかしネット社会における「大衆世論」には、そういった方向性がない。

アメーバー(原生生物)のようにつかみどころがなく、人気ブログ運営サイトが「アメーバーブログ」というのもうなずける。どんな意見も、疑問視され、否定され、非難され、罵倒される。保守も、革新も、リベラルもない。標準もなく、手本もない。こういった社会において重視されるのは「面白い」という価値であり、「刺激的」というスタイルだ。

編集者がいないから、マニアック(本来の英語ではかなり悪い意味)にもなり、ステレオタイプ(すでに言われていることを繰り返す)にもなる。そして熱しやすく冷めやすい。つまり大衆世論は、無方向、無定見、過敏、過激、集中的で、非良識的で、非構築的である。

大衆とは、生身の人間の頭頂から足先まで、精神と肉体、意志と欲望、理念と現実のすべてを含む概念であるから、既存のマスメディア世論が、教育された市民を対象とする「表世論」だとすれば、大衆世論は「裏世論」を含んでいる。また心理学で言う深層意識(潜在意識)あるいは無意識が表出する。フロイトはその根底に性的衝動リビドーがあることを強調し、ユングはその集合性(共通性)を追求した。大衆世論は深層世論であると言ってもいい。

「裏世論」的なものが目立つのは、ネットの世界を「公的」なものと考えるからだろう。仲間内の噂話しと考えれば腹も立たないが、完全にオープンであるから「私的」とは言い切れない。そこに問題がある。不当、不法な、差別、中傷、害のある告示をどう取り締まるのか。多くの国が対応を迫られ、その対応に国情の違いが露呈する。先進国にも途上国にも、スタンダードがない。

しかし、これまでのマスメディアが堕落し、知識人・ジャーナリストが力を失ったことを考えれば、この大衆世論という一見奇態な現実を無視するわけにはいかないのだ。