都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

「シン・ゴジラ」と日本社会・その2ーアメリカとの関係

 

映画「シン・ゴジラ」には、日本政府と米国との関係が強く現れる。

国家の危機であるから、日米安保を考えれば当然のことだろう。

しかしそこには伏線があるようだ。

2014年のハリウッド映画「GODZILLAゴジラ」である。見終わってイヤな感じが残った。最後にサンフランシスコ沖で核爆発が起きたので大変だと思ったが、そのあとの街は、なんの影響も受けていないかのように人々が行き交っているというハッピーエンドなのだ。広島、長崎を知っている日本人には考えられない結末である。アメリカ人やイギリス人(監督は英国人)の核兵器理解はこの程度なのかと暗澹たる思いがした。日本政府とマスコミは猛然と抗議するかと思いきや、ホンのわずかな意見が出たのみ。大いに不満であった。その点で、オバマ大統領の広島訪問は、短いものではあったが、多少は胸のつかえがおりたのだ。

今回の「シン・ゴジラ」を観てスッキリした。

制作陣には、僕と同様の、ハリウッド映画に対する怒りがあったような気がする。そもそも映画の質が、はるかに上回っている。

アメリカは、ゴジラの破壊力が並大抵でないことを知ると、日本政府に強い圧力をかけ、作戦の主導権を取ろうとする。放射能に関する情報を独占し、自国の安全のために、国連安保理の名において、東京のど真ん中で核兵器を使う日限を切る。総理以下の中核を失った日本政府は、右往左往しながらも、なんとか踏みとどまり、同じように核兵器をもたないドイツと、かなりの原子力技術をもつフランスに、これを回避する協力を依頼し、両国はこれに応える。

結局は、米軍の協力を得てゴジラに立ち向かうのだが、ゴジラの発生に、太平洋におけるアメリカの核実験が深くかかわっていることも指摘し、日米安保が自国優先ではあるもののそれなりに機能することも示している。

核兵器と安全保障、現在の日米関係と他国関係に対する冷静な批判が隠されていることを感じた。