都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

豊洲とオリンピック

豊洲の問題は、技術的なディテールがハッキリしないと何とも言えないが、コンクリート工学の専門家、特に遮蔽性の権威である知人は「危険性が明確にならないうちにマスコミが騒ぎすぎている」と言う。僕もそう思う。

新国立競技場以来の一連の問題の根底には、国民のコスト意識がある。

事情通によれば「日本の建設業界は、3・11の復興予算の消化に手一杯で、オリンピックの施設建設では、逆に政府から仕事を押し付けられるような状況だった」と言う。

建設業というのは、常に人と機械を抱えているので、仕事がないときは積算的に赤字でも取ろうとするが、手一杯のときは取りたくても取れないのだ。一部の地域や施設が盛り上がっているなら、そちらに手をまわせるが、日本中が建設ラッシュになると、下請も職人も払底して、日本列島改造論のような状況になる。しかし予算をつける方はそんなことお構いなし。財政規律もどこ吹く風。

つまり一連の問題の根源は、復興とオリンピックが重なったことにある。

もし政治家が賢人であったなら、東日本大震災が起きた時点で、オリンピックの候補地申請を取り下げたであろう。

ところが、東京が決まった時点で、国民(一部の人を除いて)は大喜び、マスコミはそれを煽った。ブレーキをかける意見はほとんど聞かれなかった。

大袈裟な例えで恐縮だが、真珠湾攻撃のニュースを聞いて「大変なことをしでかしたと思ったけど、周囲は歓喜に湧いていた」と語ったときの父の表情を思い出す。

もちろん絶好の機会を逃さないよう暗躍した人もいるだろう。小池知事にはしっかりやってもらいたい。