母校の教授がノーベル賞を受賞、まずはめでたい。
すぐに役立つ研究に資金がまわり、基礎研究がおろそかになって、科学の空洞化が起きているという発言、そのとおりだと思う。
先日、昼食の席上、ある若い科学者と意見が一致した。
「最近の科学研究は、膨大なデータとコンピューターによる複雑な計算で結論を出すのだが、研究者自身がそのデータとプログラムの意味をよく理解していないことが多く、目的と結論が論理的につながらない。つまり演繹が軽視されている。これは科学の危機ではないか」
コンピューターという科学技術の圧倒的な武器が、逆に危機を招いているということで、これも内的な意味の空洞化だろう。コンピューターがはたらく分、頭がはたらかない。スマホ・ゲームに没頭する(頭が没)ような現象が科学の現場でも起きている。
これは世界的な傾向で、例の小保方現象も、本人とその周囲の人間と組織の問題はあるにせよ、現代科学の方法論そのものが抱える根本的な問題を示唆しているように思える。これまで、原子力やCO2など、科学技術による地球の危機は指摘されているが、科学という認識方法そのものの危機はあまり論じられなかった。
われわれは今、外的な「地球崩壊」の危機とともに、内的な「知的崩壊」の危機にも直面しているような気がする。