都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

スポーツ資本主義=情動資本主義

先に、体育会系は下火と書いたが、スポーツが衰退したわけではない。逆に大いに盛り上がっている。

国際的に見て、サッカー、野球、フットボール(アメフト)、バスケットボール、テニスなどは、大きな集客力と資金力を有し、コマーシャリズム(消費宣伝)と相まって、もはや「スポーツ資本主義」とも言うべき状況だ。

人気スポーツマンは、メディアでも芸能人と同様の扱いである。政治よりもむしろ経済がポピュリズムとなっていると思える。

マルクスは商品の物神的な力に着目し、「製品の生産」から資本主義を論じた。ポスト・モダン思想では、文化的価値を重視して「記号の消費」が論じられた。現在僕が感じるのは、スポーツや芸能のもつ「人間の情動」の力である。製品資本主義→記号資本主義→情動資本主義という変化の構図である。

かつての英国では、アマチュア・スポーツは貴族の自己陶冶であった。逆に古代ローマでは、「グラディエーター」(剣闘士)や「ベンハー」(戦車競争)に見るように、奴隷を戦わせて市民の娯楽に供していた。

現代社会では、スポーツマンが貴族から奴隷になろうとしている。

古代ローマは、壮大な都市化のシステムであった(参照拙著「ローマと長安ー古代世界帝国の都」講談社現代新書)。現代資本主義もまた同様である。人はその巨大な都市力(グローバル資本主義の力)にひれ伏しているのだ。