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都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

AI(人工知能)の論評

AI(人工知能)について、様々に論じられているが、もう一つピンとこない。

AIには、人間のような想像力も創造力もない、所詮人間がプログラムしたものだから人間を超えられない、といった意見によって、安心しようとする内容がほとんどだ。

かつて、機械が労働者の仕事を奪うことを恐れ「打ち壊し運動(イギリスのラダイト)」が起き、ロボットが人間に歯向かうことを恐れ「アシモフの三原則(人間に危害を加えない、人間の命令に服する、自己を破壊しない)」が唱えられた時代と同じ心配と論評が繰り返されているように思う。

僕が、囲碁のソフト(乱数発生と自己学習を取り入れた、いわゆるAIに近いもの)と対戦して感じたことは、まったく同じ状況でも次に同じ手を打つとは限らないことと、肝心なところで人間に似たミスを犯すことである。そしてこのことによって、以前のソフトより格段に強くなったという事実である。つまり確率と学習を取り入れることによって、極めて人間的になり、これまでのプログラム概念とは異なったものとなっていることだが、その違いの本質が論じられていない。

つまり、AIは、必ずしも論理的でないし、想像力も創造力も感じられるのだ。むしろAIを論じる人間の方が進歩していないのではないか。これなら、AIの論評もAIがした方が的確であるような気がする。

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AIには感情がない、とも言われる。確かにそうだ。

しかし本当に感情表現をする必要があり、その技術が進めば、どうだろうか。手塚治虫が「鉄腕アトム」で描いたような、スピルバーグが映画「A.I.」で描いたような、感情を持ちそれを表現するAIも現れるのではないか。