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都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

この世界の片隅に

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この世界の片隅に」というアニメーション映画を観た。

素晴らしい作品だ。

戦争や原爆を、庶民の目線で、人生の流れと生活の日常から現象させることによって、その理不尽を描く。それはままあることだが、この作品は、庶民目線が徹底しており、ごく普通の一人の娘の人生と生活を、周辺の人物とともに、繊細かつ情緒豊かに描いて、実にほのぼのとしてリアルなのだ。その意味では、戦争映画でも原爆映画でもない、と言えるのだが、作者の批判性は十分に伝わってくる。

前に「君の名は」も観た。面白い映画だが、評判ほどの感動はなかった。

その違いはなんだろう。

「君の名は」は特に若者に、「この世界…」は中高年にも受けているようだ。世代の違いに帰したくはないのだが、たしかにその違いが、昨今の時代を表現しているところがある。

日常の生活をきわめてリアルに描くことでは共通している。しかし「君の名は」は、大筋の設定がアンリアルで、ありえないことだ。「この世界…」は、ありえるどころか、ほぼ客観的事実である。

ありえない設定によって、人間の真実を深いところからえぐり出すのは一つの手法である。「指輪物語」や「ハリーポッター」や「ドラゴンボール」など、ファンタジーと呼ばれるものがそうだ。そういえば村上春樹の作品にもよく、ありえない設定が使われる。

若い世代は、比較的平和な社会に生きてきたので、ありえない設定の方が、緊迫した社会に入り込みやすいのだろう。これに対して高年層は、直接にではなくても、戦争や貧困の記憶が、リアルに残っている。

そして大量の情報に溢れた現代社会の潮流が、客観的事実の世界=現実と、人によって設定された世界=仮想現実との境を見えにくくしている。そのことに対する、年齢層による感受性の違いがある。

言い方を変えれば、「この世界…」の質の高さは、日常のリアルを綿密に描くことによって、空襲の現実が、あたかもファンタジーのように「ありえない」とさえ感じさせるところだ。

われわれの日常は、一見のどかであっても、過去も、現在も、未来も、常にありえない現実をはらんでいる、と言うべきであろうか。