『西部戦線異常なし』という映画は、ドイツの若い志願兵が戦死するまでの、塹壕線における恐怖と苦悩を描いている。
第一次世界大戦においては、歩兵が機関銃の弾幕から隠れる必要があり、塹壕戦とならざるをえない。ナポレオン戦争のような勇壮な歩兵戦、騎馬戦は過去のものとなった。またこの戦争において、戦車、戦闘機、さらに潜水艦までが開発され、人間が人間をではなく「機械が人を殺す」戦争となったのである。
以来、戦争の勝敗は、都市力=文明力=機械力によって決定されると考えられた。
ドイツや日本が緒戦を有利に運んだのも、その都市力が有効に機能したからであり、結果として負けたのも、連合軍特に米軍の都市力が総合的に上まわったからである。近代人は「都市力」を重視し「風土力」を軽視した。
しかし第二次世界大戦以後の、東南アジア、中南米、中近東における戦いは、少し趣が違っていた。機械力をもたない国々は、アメリカやソビエトという突出した都市力に対して、ゲリラ戦という「風土力を駆使する戦法」に打って出たのである。冷戦の終結は、西側の勝利というより、ゲリラ戦やテロリズムなど、非正規軍戦争の常態化というべきかもしれない。
人間の社会においては、常に都市力が風土力を凌駕するというわけではないのだ。
むしろ両者は拮抗する力である。