これとトランプ現象との関連はあるだろうか。もちろん彼が大統領になる前だが、先進社会が豪腕のリーダーを求める傾向とは関連があるだろう。
トランプ、プーチン、サルコジ、ベルルスコーニといった面々は、マスメディアと良識派知識人の顰蹙もなんのその、強引に自説と政策を押し通す。日本でこれに対抗できそうな人格の政治家は、故人ではあるが田中角栄ぐらいだったかもしれない。
日本では、田中逮捕以来、政界から大物が消えたばかりでなく、小佐野賢治、真藤恒、江副浩正、島桂次、堤義明といった大物財界人も、何らかの追及を受け、多くは失脚した。こういった野生味のある大物に共通するのは、強烈な意志力と決断力と行動力である。そして時に犯罪スレスレと多彩な女性関係。そういう野生味のある人物が活躍する社会を「野生社会」と呼んでみよう。
つまり日本は、政界も財界もあるいはマスコミも、この数十年で一挙に、野生的な大物から管理された小物の社会すなわち「管理社会」に転換したのだ。そして同時に、国力が著しく低下した。
誤解しないで欲しい。僕は「野生社会の方が管理社会よりいい」と言うのではない。
ここで言いたいことは、野生社会から管理社会への転換が、極めて短期間であるということ、そしてそれが国力低下と同調しているということである。
そしてもう一つ。どこの国でも国民は、マスメディアと良識派知識人がどう言おうと、野生味のある強いリーダーを求める部分があるということだ。
これまでの論調と合わせれば、野生社会=政治的B面=風土力・vs・管理社会=政治的A面=都市力、ということである。