都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

「家」と「やど」

東京の設計事務所から名古屋の大学に赴任して、何か新しいタイプの研究をやろうと、「文学の中の建築」というテーマに取り組み、大上段に『万葉集』から取りかかったことは前にも書いた。

万葉4500首あまりに、もっとも多く登場する建築用語は「家」であり、次が「やど」であった。「やど」といっても旅の宿を意味するのではなく、これも住むところを表している。つまり「家」と「やど」は同義語なのだ。

しかしよく調べてみると、その文脈が異なっている。「家」の歌は人を詠み、「やど」の歌は草花を詠む。例をあげよう。

「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」

「わがやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも」

前者は大伴旅人、後者はその子、大伴家持の歌である。

ところが平安時代に成立した『古今和歌集』になると、住まいを表す言葉はすべて「やど」となり、「家」という言葉がまったく使われない。これはどうしたことか。

僕はこう考えた。和歌(万葉は和歌ではない)というものは、漢詩に対して定立された日本文化の正統であり、中国から来た文字によって成立した律令国家体制の根幹をなす「家」という社会的な概念を拒否したからではないか。つまり日本人にとって、同じ住まいであっても、「家」は社会制度の中に位置づけられた空間であり、「やど」はその制度から逸脱する風流の空間なのだ。

日本文化はこの「制度の空間」である「家」と、「逸脱の空間」である「やど」の対立構造の上にとらえられるのではないか。そして現実の建築空間と、文学の中のすなわち虚構の空間は、あざなえる縄のごとく相互に影響しあって、文化空間の歴史を構成しているのではないか。その視点から、この国の「文学・建築・社会」の関係の変遷を論じたのが『「家」と「やど」』(朝日新聞社)という著書である。