都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

もう一つの事実のもう一つの事実

「事実は一つであってほしい」と、テレビのコメンテイターが強く言った。

そのとおりだ。僕も「もう一つの事実」という言葉の流行に嫌な印象を受ける。

アメリカで、トランプ大統領の報道官が、就任式に人が少なかったのを史上最大の人数として「alternative facts」と説明したことから、ジョージ・オーウェルの「1984」まで持ち出されている。好きな作家の一人だが、彼は、社会主義の理想が思想的ファシズムを形成することを先見的に風刺したのであり、トランプの方向性とは逆である。日本では言葉だけが一人歩きして「現代社会では嘘の報道もまかり通る」というような意味になってしまった。

しかしもともとこの言葉は悪い意味ばかりではないはずだ。alternativeとは「代替えの、他の」などの意味で、むしろ哲学的には正しい態度とも言える。

事実あるいは真実を、確定し記録し伝えることは難しい。どんなに客観的に記そうと努力しても、必ずその時代のその体制のその記述者の価値観が忍び込む。科学的真理にさえ「再現可能な実証」という、言わば経験的な方法論が重視される。つまり科学とは、知の絶対性を否定する認識方法なのだ。

世の中の事実が、権力によって確定され記述され報道されるなら、その絶対性を疑い「もう一つの事実」を考えてみることは必要なことである。

今ではすっかり悪い意味になってしまった。

「もう一つの事実のもう一つの事実」ということだろうか。

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