数寄屋橋のソニービルが解体され、しばらくは公園になるという。
向かいには昨年オープンした東急プラザ。阪急が入っていたが、もとは東芝の松田ビルであった。
東芝は明治初期以来の、重電を中心とする大企業であり、ソニーは戦後急成長した、主としてオーディオ・ヴィジュアルの家電企業であり、どちらも日本のものづくり技術の象徴であった。そしてどちらも経営悪化。ソニーはまだ可能性があるが、東芝はどうだろう。数寄屋橋から、二つのビルが消え去るのは象徴的だ。
70年代、80年代、トヨタ、ホンダ、ソニー、パナソニック、ニコン、キャノン、セイコー、シャープ、カシオ、富士フィルム、東芝、日立、三菱、その他・・・。日本のものづくり技術は世界に群を抜いていた。僕はこれを「日本技術圧勝時代」と書いたことがある。同世代の技術屋は、その栄光のために汗水垂らして働き、今はほぼリタイヤしている。
かつて、日本の軍人は大日本帝国の崩壊を目の当たりにして生きざるを得なかったが、今、日本の技術屋は日本技術帝国の崩壊を目の当たりにして生きざるを得ない。
もちろん責任者の罪は重い。