またしてもアメリカで銃乱射事件が起きた。
高等学校であったところから、トランプ大統領は、銃の所有に対する規制を強化するとともに、教師に銃を持たせることを進めるという。背後には全米ライフル協会の選挙影響力があるという。
「どんな場合でも体罰は悪」という現代日本社会では考えられないような話である。
教師とは本来、暴力否定を教えるべき立場であり、いかなる理由があるにせよ、警察以外の人間が他の人間に直接的な力を行使することを否定するのが基本である。西武開拓時代の映画でも、保安官や、騎兵隊や、流れ者や、カウボーイはともかく、教師が銃を持つことはまずなかった。
われわれは、アメリカという社会、国家、文明をそういう性格のものとして受け止める必要がある。すべての暴力を排除する戦後日本とは対照的なのだ。そして世界の多くの国は、むしろ日本よりアメリカに近いのではないかということも考える必要がある。もちろんこのことは戦争に結びついている。
暴力は否定すべきである。しかしどう対処するかは考える必要がある。
とりあえず、銃規制は必要だ。その上で、社会の深いところにある原因とその暴発を排除する対策を練るべきだろう。