金正恩委員長にうながされて文在寅大統領が38度線を越えるシーンは印象的であった。
つい先日まで、やれミサイルだ、核実験だ、近親者暗殺だ、側近の粛清だと、恐怖政治の象徴だった人間が、一転ニコニコ顔でやってきたのだから、世界も日本も、戸惑うのは当然だ。
二つの反応がある。要注意だが平和ムードと非核化への前進は歓迎(どちらかといえば左派革新系)というのと、これまでどおりでまったく信用できない(どちらかといえば右派保守系)というものだ。
どちらも一理あるし、矛盾もある。非核化が客観的に確認されなければ無意味であるというのが政治的リアリズムであるが、ムードとはいえ平和への兆候は歓迎すべきである(どちらも一理)。また、この会談を評価するなら、軍事的経済的圧力をかけたトランプ大統領と安倍首相も評価しなくてはならないし、逆に、非核化を目的としてきたのだから、それを前提とする対話を初めから否定すべきではない(どちらも矛盾)。
日本が蚊帳の外に置かれることを心配する向きもあったが、今回は蚊帳の中に蚊がいるような気がするし、強そうな人たちが殴り合いしそうなところへ割り込む必要もない。
拉致問題解決はいい続けるべきだ。もちろんその補償も。
本丸は、本当の非核化である。その実現のためには、妙な面子にこだわらず、たとえ弱い力でも、推しつづける必要がある。
ところで最近、トランプ大統領の集会でノーベル賞の大きなシュプレッヒコールが起きたのも印象的であった。
それなら安倍首相にも小さなコールが起きていいのだろうか。