東京医大の入試で、女子学生が一律に減点されていたというのは驚きであった。
そしてテレビによく出る女医が「医療の現実から見れば当たり前」と発言したようだ。女医が増え過ぎて男性の医者が減るのは医療の現場に好ましくないという、現実を知った発言として、そういう見方もあるのかと思わされた。
しかし問題なのは、これが贈収賄を含む「裏口入学」と並行して行われていたことである。入試の公平性という原則がまったく等閑視されたことである。
実は、入試と人事における「公平倫理」がこの国の根幹である。
敗戦によって、国家に対する忠誠、目上の者に対する尊敬、その他多くの倫理道徳が消失する中で、実力本位の公平倫理だけは何とか保たれ、復興と成長の原動力となってきた。
公平倫理は、破ることによって他人に直接的な害悪を及ぼす感覚が薄く、時に人情と衝突するので、これを守るには、それなりの個人的倫理観が必要なのだ。
入試においては、たとえ点数主義と言われてもそれを遵守する「厳正」が公平の原点である。最近の文科省は入試を多様化しろというが、結果として情実が入り込む契機を増やしている。また教員も多様化しろというが、実は質を落とすことにつながる。
逆に、さまざまな要素が絡む実社会の企業人事では、型どおりではない思い切った「抜擢」が必要だ。それには上司に、事なかれ主義とは異なる腹の据わった公平倫理が要求される。
厳正と抜擢という「公平倫理」の崩壊は、単なる悪ではなく、長期的にこの国の底力を損なう、いわば国家存亡の危機である。