幼児を発見した尾畠春夫さんを捜索隊と比較して「文化が文明を凌駕した」と大げさなことを書いたが、そこには伏線がある。
制帽とハチマキだ。
日本近代建築の父ともいうべきジョサイア・コンドルが来日した明治10年、日本には西南戦争という大事件があった。その結果として西洋追随が決定的となり、コンドルとその弟子たちの設計による洋風建築が林立することになるのだから、この事件は日本建築史にとっても重要な意味をもつ。
さてその西南戦争の様子を描いた錦絵(当時の新聞写真)を見ると、官軍側は制帽をかぶって銃をかまえ、薩軍側はハチマキをして日本刀をかまえている。これを「文明と文化の戦い」だと、これまで著書などに書いてきた。それが捜索隊の制帽と尾畠さんのハチマキに重なったのである。
この人のことが報道されるたびに感心するのは、今の日本人が失っていた人間本来のものが、そのまま出現したような気がするからだろう。それは、情報化社会、管理化社会の中、電車に乗って見まわせば80パーセントぐらいの人がスマホとにらめっこしている状況とは逆の人間像だ。つまり「電子情報化されてない人類=本来の人間」というイメージである。
スマホ、テレビ、パソコンといった液晶画面に釘付けになって人類には、やはりそれは人間本来の姿ではないという気持ちがあるのだろう。