何か歴史的な「用語」について確認しようとして、ウェブを検索し、その用語がまったく別の意味に使われていることに気づくことがある。
その用語が、ブランド名や、その商品や、レストランやカフェの名前や、芸能集団の名前や、その歌名や、映画や、ドラマや、といったものに使われ、今やそちらの方がはるかに周知され、元々の意味がかすんで消えそうになっていることに愕然とする。
商品よりもその「概念」(意味あるいはイメージ)を生産し消費する「概念の資本主義」といったものが膨張しているように思う。
言葉は、歴史的に新しいが意味が重ねられることによって、変質していくものだが、今の「概念の資本主義」には、これまでの歴史的な積み重ねを一挙に超える巨大なエネルギーが感じられるのだ。インターネットの副産物というべきか。