都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

SMAPの時代

美空ひばりにはひばりの時代があった。

焼跡から立ち上がろうとしていた。

慎太郎と裕次郎には、石原兄弟の時代があった。

何かに挑戦しようとしていた。

フォーク・グループにはフォークの時代があった。

成長の矛盾を叫ぼうとしていた。

SMAPにはSMAPの時代があったのだろう。

夢を取り戻そうとしていたのかもしれない。

警察の執念と監視社会

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昭和45年における渋谷暴動事件の容疑者が逮捕された。

警察の執念を感じる。

デモはマス(人間集団)とマスの激突であり、混乱の極致である。その中から容疑者を特定し、46年間にわたって追い続けるのは並大抵のことではない。大学にまで行かせてもらっている連中の暴力行為を止める任務を帯びた仲間が殺されるという怨みもあるのだろう。

日本の警察はあなどれない。

味方にすれば頼もしく、敵に回せば、恐ろしい、

「家社会」としての日本は、もともと周囲の人々の監視が厳しく、犯罪者の検挙率も高いのだが、そこに今話題の「テロ等準備罪」が成立すればどうなるのか。

テロの本当の恐ろしさは、それによって監視社会化することであるのかもしれない。

民主主義は残酷

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築地市場における小池知事の説明に対して、業者の方から「行くか行かないかを自分たちに決めさせるのは酷だ。知事が決めてくれれば、自分たちは従うほかないのだ」という意見が出た。

そのとおりだと思った。

前に、沖縄の普天間移転に関して、農家のおばちゃんが「村が賛成と反対と二つに割れているのが辛い。どちらかに決めてほしい」と切に訴えていた。

民主主義とは、ある意味残酷な制度である。

重要な案件に決断を下すのは、社会的立場にある者の使命である。

戦後日本社会は、賛成派のいうことも聞き、反対派のいうことも聞き、その中間の結論を出すというようなことをやり続けて来た。世の中には、特に安全保障など、そうは行かない二者択一も多いのだ。社会的地位にある者が、その責任を回避するのは「卑怯」というものである。

リーダーは良い人であることも大事だが、決断できる人であることが重要だ。良い人であることと決断することとの葛藤に苦しまなくてはならない。その「苦悩」は「孤独」でなくてはならない。仲間たちと酒を酌み交わしながらワイワイやって決めるていのものではない。

チェスと囲碁と碁会所と民族

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バークレイの東ヨーロッパから来た研究者たちは、チェスのクラブをつくっていた。

僕も仲間に入れてもらったが、若いころ将棋をやっていたので、すぐ強くなった。しかしこのころは囲碁が主な趣味で、いつも本を読んだり、ネットで対戦したりしていたので、彼らも興味を抱いて、教えてくれという。しかたなく、安い碁盤と碁石を手にいれて、教えることにした。

コンピューターの研究者は囲碁に興味をもつ人が多い。ロシアを始め東ヨーロッパはチェスが盛んだが、これからは囲碁が盛んになるような気がする。僕も一役買ったのだ。

バークレイの街にも碁会所はあって、よくかよった。ユダヤ人が運営していて、常連客もユダヤ人が多かった。

バークレイのあと、コロンビア大学に行ったので、ニューヨークの碁会所にもかよったが、こちらもユダヤ人が多く、あるニューヨーク大学の教授は囲碁のソフトを開発中だという。アメリカの囲碁ファンはユダヤ人が多い。日本の岩本プロが私財を投じてつくったところで、一時は韓国の人も多かったが、やがて韓国人がつくったところができて、そちらに移ったという。

それぞれの国と民族の事情が碁会所にも反映している。

アメリカの知的ふところ

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カリフォルニア大学バークレイ校の客員研究員だった頃、インタナショナルハウス(ロックフェラーが創設した留学生用ドミトリー ニューヨークにもある 通称アイハウス)に入っていた。食事もついているから一人暮らしにはとても便利だ。

ちょうどベルリンの壁が崩壊して、留学生ばかりでなく、東ヨーロッパから多くの研究者が流れ込んでいたので、僕は年齢の近い彼らとつきあっていた。ロシア、ポーランドラトビアクロアチアブルガリアといったところ。多くはコンピューターサイエンスを専攻していて、同じシリコンバレーでも、隣のスタンフォードはすぐに役立つ研究を、バークレイはすぐには役立たない基礎的な研究をという感覚だった。

天才的な研究者もいて「あいつは英語は分かるんだが、今ひとつピンとこない。少しおかしいんじゃないか」というと「いや、あいつは天才だ。教室では教授も一目置いている」という答えが返ってくるような連中。単純にいえば「変人」である。

就職しようと思えばすぐにできるのだが、奨学金を申請すればたいがい当たるので、それで食っている。「この寮にいる方が気楽なのさ」という。

研究者は知的な興味だけで生きているし、アメリカ社会にはそれを許すベースがある。

いろいろ問題のある国だが、知的なもの、変わったもの、創造的なものに対する懐が深いことを感じた。

周縁の文化・日本建築の良さを教えたチェコ人

 

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コンドルは日本人に洋風建築を教えたが、その後、帝国ホテルを設計するライトの助手として来日し、そのまま日本に住んで、モダニズムと和風の融合を教えたのがアントニン・レーモンドだ。

チェコ出身、ボヘミアンだ。この言葉はヨーロッパの長い歴史の中で、単にチェコ人の意味を超えて「故国を喪失した流浪の人(特に芸術家)」を意味する。

僕は二度プラハを訪れているが「百塔の都」と呼ばれる美しい街である。あの『変身』を書いたカフカの地で、建築には、アルフォンソ・ミュシャの描いたアール・ヌーボーのデザインがよく残っている。

周囲は深い森の風土であり、文化的には、西欧と東欧の境界線、ローマン・カトリック圏とギリシャ正教圏の境界線、ゲルマン系とスラブ系の境界線にあることを感じた。中世には・ヤン・フスの教えが広がり、異端とされ火刑に処せられたが、市の中央広場にはいまだにその銅像が置かれ、市民の尊敬を集めている。いわばプロテスタント起源の地だ。

文明の中心に対する「周縁の文化」であろう。

レーモンドが日本での設計において、ライトの影響を抜け出して独特の味を出したのは「木の扱い方」である。特に、比較的細い丸太の扱いで、構造力学的には洋風、意匠的には「和風」である。そしてここで「和風」というのは、あの千利休が大成した草庵茶室すなわち数奇屋の感覚である。

草庵茶室は、壁がちであること、躙り口、茶碗の美意識などは半島の民家の系統に近く、丸太の扱い、網代天井などは東南アジアの系統に近い。つまり、中国や日本の仏教建築や邸宅建築の本格的様式から外れた、東アジア木造文化圏の「周縁の様式」であるというのが筆者の持論である。

レーモンドがもつ周縁文化の血がそこに共鳴したのではないか。

 
「THE・PAGE」に詳しく書きました。若山

安倍政権の文化的矛盾

森友、加計問題から浮かび上がる安倍政権の問題点を文化論として書きました。そこには、明治維新、太平洋戦争、冷戦構造をつうじた日本政治の矛盾が浮かび上がってきます。