都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

「個室の大衆」

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ネット時代の政治に関して「THE・PAGE」に書いた記事の「個室の大衆」という言葉は、評判がいいようだ。

テレビ時代の民意の参加者は「茶の間の大衆」であり、出演者に引っ張られる受動的な存在で、その出演者は放送の公共性から、進歩、国際、公平、人権といった「タテマエの民意」を崩せないが、ネット時代の民意の参加者「個室の大衆」は、個室という私的な空間にいて自らキーボードを叩くだけに、能動的であり、所属する集団の利益に沿った「ホンネの民意」となりやすい。

またテレビ以前の民意の参加者を「広場の大衆=群衆」としたが、広場、茶の間、個室という建築的な空間性と、民意に基づく政治性との関係は、建築からの文化論を書いてきた僕にとって、一つの興味深いテーマである。

ネット社会の政治と「個室の大衆」

thepage.jp

現在の選挙情勢と昨今の国際政治を、ネット社会の政治的特質「個室の大衆」という概念で説明した。

チャップリンと漱石

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子供のころ、親に連れられてチャップリンの映画を観た。

なぜかそれほど楽しめなかったことを覚えている。

大人になって、その良さがしみじみと分かる。

漱石の作品では『坊っちゃん』と『吾輩は猫である』がそうだった。

文科省は、そのタイトルと仕立てから、この二作を子供に進める傾向があるが、実はもっとも大人向きの作品であるような気がする。

寅さんとひよっことチャップリン

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長い間やってきたが

教育の要諦は「人生を楽しめ」ということに尽きるような気がする。

なぜなら

どうせ哀しいことに多く出会うのだから。

その意味で、フーテンの寅さんは教育的だ。

そういえば朝ドラの「ひよっこ」も、寅さんに似て、いい人ばかりが登場する。

悪い人、嫌な人、意地悪な人は、まったくいない。

違うのは、寅さんのような「漂白の哀しみ」がなく、万事ハッピーに収まることだ。

こういうドラマが好まれるのは、ニュースに嫌なことがありすぎることのバランスだろう。

チャップリンは、「哀しみ」の量がもっと多かった。

人種的思想的偏見の中を生きたからだろう。

これらがすべて教育的であるかどうかは、よく分からない。

地球に刻印した男・安藤忠雄について

thepage.jp

現在、六本木の新国立美術館安藤忠雄展が開かれている。

充実した盛況ぶりである。

屋外に置かれた光の教会は、実際にコンクリートが打たれ、限りなく本物に近い。

たくさんの模型展示を見終わって感じたのは、彼のコンクリート壁は大地と一体であり、地の底から湧き上がってくる幾何学だ、ということであった。

安藤忠雄は地球に刻印したのである。

 

ロングスパン民主主義の勧め

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ドイツの下院選挙で与党が勝利し、メルケル首相の4選がほぼ確実なった。16年にわたる長期政権となる。

揺れ動く国際政治の場における彼女の存在感は、いよいよ大きく安定的なものになるに違いない。

安倍首相も、ある程度長期にわたることが、揺れ動く東アジア情勢における外交の強みとなっていることは確かだろう。これまでのように、1年2年で首相が代わるというのでは、国家としてのガバナンスが疑われる。その間に、日本の国力は、大きく減退した。

そもそも民主主義というものは、衆愚化することに歯止めをかけることが難しい。ある程度ロングスパンで政権を評価するシステムが必要ではないか。企業でも、7、8年は社長を変えないのが普通だ。

とはいえ、長すぎる政権は腐敗する。

僕の感覚では、国家も、自治体も、企業も、最短6、7年、最長12、3年というのが、いいところではないか。

これを法制化することはできないものだろうか。

 

「ひよっこ」のタイトルバック

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NHKの朝のドラマ「ひよっこ」は登場人物がすべて「いい人」だ。

ニュースには「悪い人」ばかり登場するから、バランスが取れている。

サザンの桑田のテーマソングもいいが、そのバックの映像が魅力的だ。

台所に転がっているようなビンやカンで建物をつくっているのだ。銀座4丁目らしきところでは、時計が和光(服部時計店)のビルに見立てられている。

建築家には、こんな美しい街並はつくれない。