都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

幼児発見者(尾畠春夫さん)の野生と文化

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あっちだ


帰省先の祖父母の家のすぐそばで行方不明になった藤本理稀くん(2)を発見したボランティアの尾畠春夫さん(78)は、真っ赤なハチマキに独特の道具を背負った異様な姿だった。

しかし多勢の捜索隊が発見できなかった幼児を、森の中の沢でたちまち発見して母親のもとに連れ帰ったのだ。

被災地のボランティアとしても有名で、登山経験も豊か、山に道標を建てることもしていたというから、いわば「野生のプロ」だ。

制帽を被って隊列をなす捜索隊では感知できない微かな信号を頼りに行動するのだろう。独特の「文化」が、管理された「文明」を凌駕した感がある。

魚屋さんだったというから小さな生物に対する感覚もあるのかもしれない。

素晴らしい高齢者あり。

国民栄誉賞は有名人よりこういう人に出すべきだ。

建築からの戦争論

建築からの戦争論を発表した。今日から三日間お盆の特集連載。若山
 今年も8月15日終戦の日が近づいてきました。戦後73年になろうとしていますが、世界情勢はテロの脅威、北朝鮮の動き、経済保護主義が生み出した対立構造など、また新たな緊張感に包まれています。日本では今後...
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能力の格差から努力の格差へ

スポーツで活躍している若者を見ると頼もしくなる。

スマホでゲームに夢中になっている若者を見ると情けなくなる。

わりと頼もしい方の学生たちと話していて気がついた。

若者たちも、ゲームにハマらないように努力しているのだ。そして今の若者たちは、努力する者としないものに分かれているという。

昔は、能力には向き不向きがあって差があったが、数学ができる子は数学、英語ができる子は英語、運動ができる子は運動、音楽ができる子は音楽、機転が利く子は機転、それぞれ努力していた。みんなが努力していてその努力にはあまり差がなかった。

今は、努力に差があるという。

能力の格差から、努力の格差へ。

これは案外怖いことではないか。

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何処へ・・・

 

キャラクターとその罪・忖度と諫言

ボクシング連盟の山根明氏を「唖然とする人物像」と書いた。「小悪ボス」とも書いた。

しかしテレビを見ていると、アメフトの内田監督や、レスリングの栄監督とは、少し違うかもしれない。

久しぶりに登場した「ヤーさんふうのキャラクター」で、『仁義なき戦い』か『アウトレイジ』でも見ているような面白さがある。テレビはその「ヤーキャラ」(ヤーさんふうキャラクターの略)を求めて群がる。森友学園の籠池氏と同様にキャラが立っているのだ。

司法的にいえば、キャラクター自身に罪はない。

時々、こういう人物が現れてある機関を牛耳るものでもある。

その原因は、本人のキャラクターとともに、周囲が腹を決めて物を言わないことにある。

葉隠』という書にあるように、主君に忠節ばかりではなく「諫言」もまた武士道であり、命を捨てる覚悟でやらなくてはならない・・・。「忖度」はどこの国にもあり、良い忖度と悪い忖度があるが、現在の日本は、事なかれ主義の悪しき「忖度」がはびこって、腹を決めた「諫言」が影を潜めていることが問題ではないか。

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もの言えば

 

ネット墓地とスマ墓

お盆の話題であるが、最近はインターネットで墓参りをしたり、スマホの画面に墓が写し出される、ネット墓地やスマ墓といったものが人気だそうだ。

しっくりこないのではという気もするが、実在しないということがむしろいいのかもしれない。

「墓」というものは、死者のメモリー(記録、記憶)が現実の空間として永続するという機能である。しかしこの現実空間の永続が何によって担保されるかというと案外難しい。歴史においては国家権力も転変する。むしろ宗教の方が持続性があるのかもしれないが、これも時代によって変化する。それならいっそバーチャルの方が気楽だし、これからはネットの中の方がリアルの空間より持続性があるかもしれない。

もともと石を建てて「家の墓」とするのは中国的で日本的ではないという考え方もある。本居宣長は、自分の墓には山桜を一本植えただけにせよ、と言い残した。

諸行無常ということか。

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