大阪万博は喜ぶべきか
多くの万博に関わってきた身として
日本のモデルは新興国
少し頭を切り替えるべきかもしれない
歴史用語と「概念の資本主義」
何か歴史的な「用語」について確認しようとして、ウェブを検索し、その用語がまったく別の意味に使われていることに気づくことがある。
その用語が、ブランド名や、その商品や、レストランやカフェの名前や、芸能集団の名前や、その歌名や、映画や、ドラマや、といったものに使われ、今やそちらの方がはるかに周知され、元々の意味がかすんで消えそうになっていることに愕然とする。
商品よりもその「概念」(意味あるいはイメージ)を生産し消費する「概念の資本主義」といったものが膨張しているように思う。
言葉は、歴史的に新しいが意味が重ねられることによって、変質していくものだが、今の「概念の資本主義」には、これまでの歴史的な積み重ねを一挙に超える巨大なエネルギーが感じられるのだ。インターネットの副産物というべきか。
人間は科学より魔法が好き
Yahoo!ニュース「渋谷ハロウィーン」の記事で書いたことだが、人間は科学より魔法が好きだ。
昔の大衆小説やマンガでは、忍者も魔法使いのようなものだった。ドロンドロンパと唱えると何にでも化けられ、孫悟空のように雲に乗って空を飛ぶこともできた。リアリズムの忍者は、死ぬほどの訓練とどこまでも耐え忍ぶことが要求される。だから人間はリアリズムよりファンタジーが好きだ。
どうせフィクションならその方が楽しい。
どうやら人間は、科学と魔法の間、リアルとファンタジーの間で生きる。 今まで、どちらかといえば科学とリアリズムに軸足を置いてきたが、楽しい方、生きやすい方に軸を移すのもいいだろう。
紫式部が『源氏物語』の中で書いた「物語論」を思い起こす。『日本書紀』のような歴史より、物語の方が人間の真実を語ると・・・。