都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

戦争と「都市力・風土力」

前に、ベトナム戦争で、アメリカはベトナムの「風土」に負けたと書いた。

歴史を振り返ってみると、これに似たことは何回か起きている。

ナポレオンとヒトラーがロシアで失敗したのは、ともに「冬将軍」すなわち厳しい吹雪による。

ナポレオンとその同盟軍は、七十万近い大兵力をもってロシアに侵攻したが、クトゥーゾフ将軍はモスクワをあっさり明け渡して撤退、市民も疎開する。空になったモスクワを占領したナポレオンは、期待した降伏の報もなく無為な時間を過ごさざるをえなかった。兵站が破綻したフランス軍は帰還を決意する。しかし途中、猛烈な「吹雪=冬将軍」とロシア軍の追撃に見舞われ、寒さと飢えで壊滅状態となった。

ナポレオンはその前のスペイン侵攻において、一般市民からなる非正規軍の激しい抵抗に会って失敗している。「ゲリラ」という言葉はこの戦いから始まったとされる。これも、スペイン、ポルトガルという地域の、ヨーロッパ中央部とは異なる社会風土を理解していなかったことによるのだろう。「ピレネーを越えればヨーロッパではない」という言葉もあるほどだ。

ヒトラーのドイツ軍はバルバロッサ作戦と称してポーランドからソビエトに侵攻した。ナポレオン時代との違いは機械力であり戦車戦となる。ドイツ軍は機甲師団による電撃作戦でたちまちレニングラードを包囲、モスクワに向かったが、クレムリンにあと一歩のところで冬将軍に見舞われた。兵站が伸び切っていたため冬季装備が届かず、兵力を集中させたソビエト軍の猛攻によって挫折している。その後南へ向かってスターリングラードを攻撃するが、逆に包囲され、やはり冬季の戦いでソビエト軍に敗北している。

日本の対中戦争も、実は風土との戦いだったのではないか。

盧溝橋事件を引きがねにして、日本は中国との戦争に踏み切る。局地戦で終わらせるはずが、北支、上海、南京と深入りし、次第に泥沼化した。結局これが、広島、長崎の惨劇にまでつながったのである。大本営参謀本部や軍令部で作戦を指揮したエリートたちの頭脳は、西欧式の軍事理論と日本式の大和魂で満たされ、中国の自然風土、社会風土を理解していなかった。日本よりはるかに奥の深い国なのだ。