都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

桑原武夫の蔵書

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桑原武夫さんの蔵書が、遺族に無断で廃棄されていたという。

京都市の図書館に寄贈していたものだが、ダンボール数百個分あり、それが邪魔になったからで、廃棄した職員が咎められた。

桑原武夫は、フランス文学が専門だが、きわめて幅の広い学者で、今西錦司とともに、山岳会京都学派の象徴的な存在であった。密かに尊敬していたのだが、僕の、建築様式の分類と分布の研究、そしてそこからの文化論は、この学派の影響を受けていると感じる。

故松尾稔元名古屋大学総長は、その最後期のメンバーで、豪放磊落、談論風発、僕は気に入られて、よく酒を飲ませてもらった。

それにつけても考えさせられるのは「蔵書」というものの意味である。

実は僕も、名工大の研究室を閉じて、蔵書の処分に困っている。専門書はほとんど大学の准教授に譲ってきたのだが、一般的な単行本や文庫版だけでも相当の量である。家が狭いので、捨ててしまおうかとも思うが、今は絶版で手に入らないものが多いので、どうせ読まないとは思いつつも捨てられないのだ。古い岩波文庫が多く、紙が黄色くなって読みにくい上に、書き込みがたくさんあるから、ブックオフにも出せない。

蔵書はかつて財産であった。

しかしこの情報洪水時代。多くの古い本がネットで読めるし、公共図書館も充実しているし、まさに「断捨離」が時代の趨勢である。いくつも本を出している人間が、あまり本を買わなくなっているのだから、本が売れないと文句を言うわけにもいかない。

本とは何か。蔵書とは何か。改めて考えさせられる。