ボクシング連盟の山根明氏を「唖然とする人物像」と書いた。「小悪ボス」とも書いた。
しかしテレビを見ていると、アメフトの内田監督や、レスリングの栄監督とは、少し違うかもしれない。
久しぶりに登場した「ヤーさんふうのキャラクター」で、『仁義なき戦い』か『アウトレイジ』でも見ているような面白さがある。テレビはその「ヤーキャラ」(ヤーさんふうキャラクターの略)を求めて群がる。森友学園の籠池氏と同様にキャラが立っているのだ。
司法的にいえば、キャラクター自身に罪はない。
時々、こういう人物が現れてある機関を牛耳るものでもある。
その原因は、本人のキャラクターとともに、周囲が腹を決めて物を言わないことにある。
『葉隠』という書にあるように、主君に忠節ばかりではなく「諫言」もまた武士道であり、命を捨てる覚悟でやらなくてはならない・・・。「忖度」はどこの国にもあり、良い忖度と悪い忖度があるが、現在の日本は、事なかれ主義の悪しき「忖度」がはびこって、腹を決めた「諫言」が影を潜めていることが問題ではないか。