「なぜ日本は焼き尽くされたのか」という番組を観た。
怒りがこみ上げてきた。
あれは戦争じゃない。虐殺だ。
その基本的な作戦は、将軍達の空軍独立への野望によって立てられたという。原爆を落としたのは、焼夷弾だと人肉の焼ける匂いにパイロットが苦しむからだという。そして加害者達は歴史的な英雄となっている。
われわれは本土空襲を、爆撃される側の目で見てきたが、爆撃される側の目で見ることにも意味があることを感じた。いい番組だ。
当然のことだが、今年も8月15日がやってきた。
当然のことだが、僕は一つ年をとる。
8月15日も年をとるような気がする。
少し年上の友人だが、なかなかいいやつだ。
いつも哀しみと憂いを胸に、それでも希望を捨てないやつだ。
しかし最近、だいぶ元気が無くなってきた。
もう高齢者だから仕方ないか。
頑張れ8月15日!
それにしても、昔から日本は盆に死者を蘇らせたもので、その日を誕生日にするとは、この国の民の先祖代々の霊力というものだろうか。
内閣改造によって安倍内閣の支持率が上がったようだ。首相の低姿勢と反省の弁も好印象かもしれない。
支持率の調査が、これだけ頻繁に行われ、また敏感に数字に反映するとなると、支持率が政治を動かすことになる。今回の反省と改造はまさにそのケースで、つまり「支持率政治」だ。
テレビの視聴率が、番組の質の高さとはかけ離れたものであることは、ほとんどの人が認めているが、コマーシャルが放送を支えているので、数字が猛威を振るう。
支持率と「政治の質」との関係にも似たところがある。
支持率政治は、短期的で、短絡的で、国民に優しいことだけをいう。支持率は選挙結果と並行的であり、それが民主主義というものだ、といわれればそれまでだが、釈然としない。短期的には支持率が低くても、長期的に国民の支持を得るタイプの民主主義はないものか。
視聴率に関わらず、質の高い番組をつくるテレビマンがいなくなるのは寂しい。
支持率に関わらず、質の高い政治を行う政治家がいなくなるのは恐ろしい。