現在の選挙情勢と昨今の国際政治を、ネット社会の政治的特質「個室の大衆」という概念で説明した。
寅さんとひよっことチャップリン
長い間やってきたが
教育の要諦は「人生を楽しめ」ということに尽きるような気がする。
なぜなら
どうせ哀しいことに多く出会うのだから。
その意味で、フーテンの寅さんは教育的だ。
そういえば朝ドラの「ひよっこ」も、寅さんに似て、いい人ばかりが登場する。
悪い人、嫌な人、意地悪な人は、まったくいない。
違うのは、寅さんのような「漂白の哀しみ」がなく、万事ハッピーに収まることだ。
こういうドラマが好まれるのは、ニュースに嫌なことがありすぎることのバランスだろう。
チャップリンは、「哀しみ」の量がもっと多かった。
人種的思想的偏見の中を生きたからだろう。
これらがすべて教育的であるかどうかは、よく分からない。
ロングスパン民主主義の勧め
ドイツの下院選挙で与党が勝利し、メルケル首相の4選がほぼ確実なった。16年にわたる長期政権となる。
揺れ動く国際政治の場における彼女の存在感は、いよいよ大きく安定的なものになるに違いない。
安倍首相も、ある程度長期にわたることが、揺れ動く東アジア情勢における外交の強みとなっていることは確かだろう。これまでのように、1年2年で首相が代わるというのでは、国家としてのガバナンスが疑われる。その間に、日本の国力は、大きく減退した。
そもそも民主主義というものは、衆愚化することに歯止めをかけることが難しい。ある程度ロングスパンで政権を評価するシステムが必要ではないか。企業でも、7、8年は社長を変えないのが普通だ。
とはいえ、長すぎる政権は腐敗する。
僕の感覚では、国家も、自治体も、企業も、最短6、7年、最長12、3年というのが、いいところではないか。
これを法制化することはできないものだろうか。
帝室博物館から天皇と日本文化の本質
ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館などを訪れると、古代エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、中世イスラム世界などから蒐集した膨大なコレクションに圧倒される思いがする。しかし考えてみれば、それらはすべて、帝国主義時代の植民地などから略奪するようにして集めてきたものだ。この三つを「三大泥棒博物館」と呼ぶ人もいる。
またかつては蹂躙された、古代中世文明の現地、カイロ、アテネ、イスタンブール、北京(故宮)、西安、上海、台北(故宮)などの博物館も、今では充実して相当の宝物を陳列している。
これに比較して、帝室博物館=東京国立博物館の展示物には迫力がないのだ。ヨーロッパの宮殿が展示する、金銀の調度品や宝石の王冠も見られない。
他の王家を圧倒する長い歴史をもつ天皇家と、一時は大東亜の盟主として君臨した帝国であるにもかかわらず、その栄耀栄華を忍ばせる宝物はまったくといっていいほど存在しない。
見すぼらしいであろうか。
いや決して見すぼらしくはない。
こういった宝物の無さこそ、日本の誇るべき「帝室=天皇の家」の文化的特質である。
日本文化と天皇家の本質は、宝物にあるのでなく、むしろそれが無いことにある。宝物をもたない精神にある。日本史における天皇の立場は、他国の歴史における皇帝たちとは異なる性格のものであり、日本の帝国主義も、欧米列強のそれとは異なる性格のものであった。
もし天皇の家に財宝が満ちていたら、先の敗戦で途絶えていたろう。
本当に「帝室の美」を発見しようとするなら、むしろ桂離宮や伊勢神宮に足を運ぶべきであり、日本人の心をとらえた「もの」を見ようとするなら、奈良や京都の仏閣に足を運ぶべきだ。離宮の庭に見られる「自然美の情緒」と、仏像に込めた「ものづくりの魂」こそ、日本文化の真髄である。