都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

チャップリンと漱石

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子供のころ、親に連れられてチャップリンの映画を観た。

なぜかそれほど楽しめなかったことを覚えている。

大人になって、その良さがしみじみと分かる。

漱石の作品では『坊っちゃん』と『吾輩は猫である』がそうだった。

文科省は、そのタイトルと仕立てから、この二作を子供に進める傾向があるが、実はもっとも大人向きの作品であるような気がする。

寅さんとひよっことチャップリン

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長い間やってきたが

教育の要諦は「人生を楽しめ」ということに尽きるような気がする。

なぜなら

どうせ哀しいことに多く出会うのだから。

その意味で、フーテンの寅さんは教育的だ。

そういえば朝ドラの「ひよっこ」も、寅さんに似て、いい人ばかりが登場する。

悪い人、嫌な人、意地悪な人は、まったくいない。

違うのは、寅さんのような「漂白の哀しみ」がなく、万事ハッピーに収まることだ。

こういうドラマが好まれるのは、ニュースに嫌なことがありすぎることのバランスだろう。

チャップリンは、「哀しみ」の量がもっと多かった。

人種的思想的偏見の中を生きたからだろう。

これらがすべて教育的であるかどうかは、よく分からない。

地球に刻印した男・安藤忠雄について

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現在、六本木の新国立美術館安藤忠雄展が開かれている。

充実した盛況ぶりである。

屋外に置かれた光の教会は、実際にコンクリートが打たれ、限りなく本物に近い。

たくさんの模型展示を見終わって感じたのは、彼のコンクリート壁は大地と一体であり、地の底から湧き上がってくる幾何学だ、ということであった。

安藤忠雄は地球に刻印したのである。

 

ロングスパン民主主義の勧め

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ドイツの下院選挙で与党が勝利し、メルケル首相の4選がほぼ確実なった。16年にわたる長期政権となる。

揺れ動く国際政治の場における彼女の存在感は、いよいよ大きく安定的なものになるに違いない。

安倍首相も、ある程度長期にわたることが、揺れ動く東アジア情勢における外交の強みとなっていることは確かだろう。これまでのように、1年2年で首相が代わるというのでは、国家としてのガバナンスが疑われる。その間に、日本の国力は、大きく減退した。

そもそも民主主義というものは、衆愚化することに歯止めをかけることが難しい。ある程度ロングスパンで政権を評価するシステムが必要ではないか。企業でも、7、8年は社長を変えないのが普通だ。

とはいえ、長すぎる政権は腐敗する。

僕の感覚では、国家も、自治体も、企業も、最短6、7年、最長12、3年というのが、いいところではないか。

これを法制化することはできないものだろうか。

 

「ひよっこ」のタイトルバック

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NHKの朝のドラマ「ひよっこ」は登場人物がすべて「いい人」だ。

ニュースには「悪い人」ばかり登場するから、バランスが取れている。

サザンの桑田のテーマソングもいいが、そのバックの映像が魅力的だ。

台所に転がっているようなビンやカンで建物をつくっているのだ。銀座4丁目らしきところでは、時計が和光(服部時計店)のビルに見立てられている。

建築家には、こんな美しい街並はつくれない。

帝室博物館から天皇と日本文化の本質

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ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館などを訪れると、古代エジプトメソポタミアギリシャ、ローマ、中世イスラム世界などから蒐集した膨大なコレクションに圧倒される思いがする。しかし考えてみれば、それらはすべて、帝国主義時代の植民地などから略奪するようにして集めてきたものだ。この三つを「三大泥棒博物館」と呼ぶ人もいる。

またかつては蹂躙された、古代中世文明の現地、カイロ、アテネイスタンブール、北京(故宮)、西安、上海、台北(故宮)などの博物館も、今では充実して相当の宝物を陳列している。

これに比較して、帝室博物館=東京国立博物館の展示物には迫力がないのだ。ヨーロッパの宮殿が展示する、金銀の調度品や宝石の王冠も見られない。

他の王家を圧倒する長い歴史をもつ天皇家と、一時は大東亜の盟主として君臨した帝国であるにもかかわらず、その栄耀栄華を忍ばせる宝物はまったくといっていいほど存在しない。

見すぼらしいであろうか。

いや決して見すぼらしくはない。

こういった宝物の無さこそ、日本の誇るべき「帝室=天皇の家」の文化的特質である。

日本文化と天皇家の本質は、宝物にあるのでなく、むしろそれが無いことにある。宝物をもたない精神にある。日本史における天皇の立場は、他国の歴史における皇帝たちとは異なる性格のものであり、日本の帝国主義も、欧米列強のそれとは異なる性格のものであった。

もし天皇の家に財宝が満ちていたら、先の敗戦で途絶えていたろう。

本当に「帝室の美」を発見しようとするなら、むしろ桂離宮伊勢神宮に足を運ぶべきであり、日本人の心をとらえた「もの」を見ようとするなら、奈良や京都の仏閣に足を運ぶべきだ。離宮の庭に見られる「自然美の情緒」と、仏像に込めた「ものづくりの魂」こそ、日本文化の真髄である。