都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

ちきりんに弟子入り

f:id:wakashige:20171010103252j:plain

選挙結果の「個室の大衆」論に対して、ラジオ出演の依頼があった。

相手はちきりん。

はて、キッチンか、シチリンか。ちょうど娘がいたので聞いてみた。

「ひょっとして、ちきりんじゃない」

「ああ、そうそう」

「有名なカリスマブロガーだよ。ちきりんに会えるなんてすご〜い。どうやったら人気ブログが書けるか聞いて来て」

というわけで、本日、夕刻、スタジオ出演することになった。

TOKYO FM 午後7:25〜45

弟子たちを社会に送り出したあと、ちきりんに弟子入り。

 

「個室の大衆」

f:id:wakashige:20171010103252j:plain

ネット時代の政治に関して「THE・PAGE」に書いた記事の「個室の大衆」という言葉は、評判がいいようだ。

テレビ時代の民意の参加者は「茶の間の大衆」であり、出演者に引っ張られる受動的な存在で、その出演者は放送の公共性から、進歩、国際、公平、人権といった「タテマエの民意」を崩せないが、ネット時代の民意の参加者「個室の大衆」は、個室という私的な空間にいて自らキーボードを叩くだけに、能動的であり、所属する集団の利益に沿った「ホンネの民意」となりやすい。

またテレビ以前の民意の参加者を「広場の大衆=群衆」としたが、広場、茶の間、個室という建築的な空間性と、民意に基づく政治性との関係は、建築からの文化論を書いてきた僕にとって、一つの興味深いテーマである。

チャップリンと漱石

f:id:wakashige:20170110125325p:plain

子供のころ、親に連れられてチャップリンの映画を観た。

なぜかそれほど楽しめなかったことを覚えている。

大人になって、その良さがしみじみと分かる。

漱石の作品では『坊っちゃん』と『吾輩は猫である』がそうだった。

文科省は、そのタイトルと仕立てから、この二作を子供に進める傾向があるが、実はもっとも大人向きの作品であるような気がする。

寅さんとひよっことチャップリン

f:id:wakashige:20170416212451j:plain

長い間やってきたが

教育の要諦は「人生を楽しめ」ということに尽きるような気がする。

なぜなら

どうせ哀しいことに多く出会うのだから。

その意味で、フーテンの寅さんは教育的だ。

そういえば朝ドラの「ひよっこ」も、寅さんに似て、いい人ばかりが登場する。

悪い人、嫌な人、意地悪な人は、まったくいない。

違うのは、寅さんのような「漂白の哀しみ」がなく、万事ハッピーに収まることだ。

こういうドラマが好まれるのは、ニュースに嫌なことがありすぎることのバランスだろう。

チャップリンは、「哀しみ」の量がもっと多かった。

人種的思想的偏見の中を生きたからだろう。

これらがすべて教育的であるかどうかは、よく分からない。

地球に刻印した男・安藤忠雄について

thepage.jp

現在、六本木の新国立美術館安藤忠雄展が開かれている。

充実した盛況ぶりである。

屋外に置かれた光の教会は、実際にコンクリートが打たれ、限りなく本物に近い。

たくさんの模型展示を見終わって感じたのは、彼のコンクリート壁は大地と一体であり、地の底から湧き上がってくる幾何学だ、ということであった。

安藤忠雄は地球に刻印したのである。