ニュヨークでは、またしてもテロ。
座間では、生臭い殺人事件。
テロリズムには、集団の外部に向かうものと、内部に向かうものとがある。
日本社会は、内部に向かうテロに対処しなければならない。
外部に向かう国から大統領がやって来て、座間に近い横田基地に到着、そのままゴルフ場に向かうという。
内部に向かう国の首相は、付き合いながら国難解決か。
https://thepage.jp/detail/20171023-00000013-wordleaf
安倍解散・小池劇場・枝野旋風
この選挙結果について「ネット社会」「個室の大衆」「集団志向」の観点から書きました。
ネット時代の政治に関して「THE・PAGE」に書いた記事の「個室の大衆」という言葉は、評判がいいようだ。
テレビ時代の民意の参加者は「茶の間の大衆」であり、出演者に引っ張られる受動的な存在で、その出演者は放送の公共性から、進歩、国際、公平、人権といった「タテマエの民意」を崩せないが、ネット時代の民意の参加者「個室の大衆」は、個室という私的な空間にいて自らキーボードを叩くだけに、能動的であり、所属する集団の利益に沿った「ホンネの民意」となりやすい。
またテレビ以前の民意の参加者を「広場の大衆=群衆」としたが、広場、茶の間、個室という建築的な空間性と、民意に基づく政治性との関係は、建築からの文化論を書いてきた僕にとって、一つの興味深いテーマである。
現在の選挙情勢と昨今の国際政治を、ネット社会の政治的特質「個室の大衆」という概念で説明した。
長い間やってきたが
教育の要諦は「人生を楽しめ」ということに尽きるような気がする。
なぜなら
どうせ哀しいことに多く出会うのだから。
その意味で、フーテンの寅さんは教育的だ。
そういえば朝ドラの「ひよっこ」も、寅さんに似て、いい人ばかりが登場する。
悪い人、嫌な人、意地悪な人は、まったくいない。
違うのは、寅さんのような「漂白の哀しみ」がなく、万事ハッピーに収まることだ。
こういうドラマが好まれるのは、ニュースに嫌なことがありすぎることのバランスだろう。
チャップリンは、「哀しみ」の量がもっと多かった。
人種的思想的偏見の中を生きたからだろう。
これらがすべて教育的であるかどうかは、よく分からない。