家の中に小さきもの二つ
一つは比較的早く成長し、もう一つはゆっくりと成長する
ミサイル、温室効果ガス、原子力、情報技術、遺伝子技術など、あらゆる文明の暴虐の中で、ただ生きていこうとする、天が与えた二つの意志
最近、人間には三つの世界があると考えるようになった。
一つ目は、この現実世界。
二つ目は、小説、演劇など、フィクションの世界。
三つ目は、哲学、思想、宗教、祈りなどの精神的な世界。
一つ目は別として、二つ目は、映画、テレビ、ゲーム、ネットなど、近代文明とともに拡大している。それと同時に、三つ目が貧困化しつつあるような気がする。
遅きに失した感もあるが、僕はこれから三つ目の充実をはかりたい。
日本とアメリカの同盟について、文化論的に書いた。
これまでの研究を元に、建築と、文化と、日米関係を足早に辿ったので、論文調になったが、面白い論考だと思う。
テレビドラマ「陸王」が面白い。
銀行員だった池井戸潤の原作ドラマは、「半沢直樹」など、リアリティとドラマ性が合体しているが、特に日本社会の「ものづくり職人」に焦点を当てている。
彼が銀行員だった時代に、魂を持った「ものづくり職人」を十分に援助できなかったことが背景にあるのだろう。本来銀行は、将来性のある人と技術と企業に資金を提供するものだが、バブル時代は担保となる不動産に金を貸した。
最近、あるイタリア人と話していて、日本のものづくりは、すべてがハイテク化したために、ローテクの職人技術が崩壊したのではないかと感じた。イタリアにはまだ手仕事の職人技術が残っているが、それは日本のように先進工業技術が他国を圧倒する時期を経ていないからのようだ。
そしてそのハイテク技術も、団塊の世代が退職することによって、十分に機能しなくなっている。現在、日本を訪れる外国人が感心するのも、江戸時代からの古い技術にである。
ひょっとすると、世界を席巻したハイテク技術そのものが、底辺の薄いバブル的な現象だったということになりかねない。