都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

思う、考える、話す、書く、動く

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思うことを書くには考える必要がある。

僕は昔から文章を書いてきたので、けっこう考える。

しかし話すとなると、あまり考えずにその場の調子に乗ってしまう。また軽はずみな行動をとって後悔することも多い。つまりおっちょこちょいなのだ。だが、世の中を見まわすと、思うことがそのまま言動になる人が多い。安心すると同時に、少しは合わせないと生きていけないような気もするのだ。

だから話すこと動くことは人並みでも、せめて書くときぐらいは考えるようしようと思う。

そもそも考えなきゃ書けない。そう思っていたが、近頃のネット社会ではそうでもない。考えずに書くことも一般化しているようだ。電子文字の時代である。

大きな枠組みと身近な好奇心

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どっちだ


テレビのBSは、国際的なニュースが多く、シリア爆撃、米朝会談、日米首脳会談などの話題を伝えている。発言も、専門家の突っ込んだ内容が多い。

一方地上波は、財務次官(官僚トップともいえる)や県知事のセクハラ辞任問題でもちきり。専門家とはいえないコメンテイターが井戸端的な発言に終始する。

前者は、この国が外的な意味で、後者は内的な意味で、存亡の瀬戸際に立たされていることを示している。

日本人の頭の中が、二つに別れているようだ。

大きな枠組みから考えていこうとする頭と、身近な好奇心から考えていこうとする頭。

他国と比べてこの国は後者が強いような気がする。

島国であるだけに。

毒ガス・ミサイル・ピンポイント

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毒ガスを使ったらしいアサド政権に対して、米、英、仏軍はミサイル攻撃を展開した。

毒ガスは悪い。しかしミサイルも悪い。

しかし毒ガスはもっと悪い。

どうやらそうらしい。

アメリカにいるとき、戦争の議論となり、アメリカ人が、日本刀は残酷だがピストルはそうではないと思っていることに気がついた。日本人とは逆である。そんなところにも文化の違いがあるのだ。

国際社会は、無差別に人を殺傷する化学兵器を許さない。そのことには賛成である。しかしミサイルを許すことには議論があるべきだろう。それが「ピンポイント」というテクノロジーにかかっている。

鳩山一郎邸についてー戦前から戦後の政治史の舞台

thepage.jp

鳩山一郎邸」について書いた。

戦前から戦後の政治史の舞台となったことを感じる。

鳩山の「音羽

吉田茂の「大磯」

田中角栄の「目白」

政治家の自邸が政治の舞台となるのは、大物の証拠だ。

彼らはみな、収監、逮捕、追放の憂き目にあっている。

これからはそんな政治家は出ないだろう。

プレパトの俳句の先生

芸能人に俳句を作らせて指導するテレビ番組の先生はとてもいい。

俳句の面白さと良し悪しの判断をこれほど明確に伝えた先人がいるだろうか。

テレビと俳句という新旧の文化が融合したといえる。

他の科目の先生と並べてしまうのは可哀想だ。

ディレクターにその判断能力がないのだろう。

せっかくの画期的な番組が他のバカバカしい番組と同じになってしまうのは残念である。

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