言葉というやつは、頭の中にあるうちは、ぼんやりとして、形も定まらず、現れたり消えたり、きわめて頼りない存在だ。だから建築設計のエスキスのように、描いたり消したり、ああでもないこうでもないと、くんずほぐれつするうちに、少しずつ形になっていく。
しかし、口から出たり、文字になったり、いったん外に出ると、なかなか手強い存在だ。
時には明るく人を笑わせたり、時には賢く人を諭したりもするが、時には鋭く人を悩ませたり、時には厳しく人を打ち据えたり、そして生みの親に昂然と立ち向かってくることもあれば、親を離れてはるかに遠くへ行ってしまうこともある。
こんなやつ、生まなければ良かったとも思う。社会の知的状況は刻々と変化するのだから、言葉の意味も効用も刻々と変化し、生みの親とのあいだにズレを生じる。
だから必ず後悔する。言葉と後悔は双子の兄弟。
しかし、だからこそ、頭の中で十分に育ち、機が熟したら、思い切って世に出そう。
案ずるより生むが易し。そして大いに後悔しよう。
人生は後悔の航海だ。シケが来ても沈まなければいい。