都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

安倍首相の憲法改正案

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安倍首相が、かなりマイルドな憲法改正案を提示した。

僕は、平和精神を保ちながら自衛隊を認めるという、最低限の9条改正ならありうると考えていた。政治家や官僚はともかく、学者の多くは現状を憲法違反と判断しているようで、理系とはいえ僕も学者の端くれとして、現状と文面の矛盾は否定できなかったからだ。

まだ色々と異論は出るだろうが、これなら可能性はある。

ひょっとすると、歴史の転換点に立ち会えるかもしれない。名実ともに、戦後が終わるということである。

人生と歴史の霹靂

東日本大震災のときは、自宅の書架から本が飛び出してきた。

ニューヨークの9・11のときは、二機目をライブで見た。

地下鉄サリン事件のときは、原因が分からない不安が大きかった。

阪神淡路大震災のときは、テレビ映像が嘘のようだった。

すべて、青天の霹靂である。

昨今、ミサイルが飛んできそうな気配がある。

これはかなり黒雲が出ているから、青天ではない。とはいえ霹靂がないとは言えない。雷が落ちる確率は、晴天よりも曇天の方がはるかに高い。

そして、晴天にしろ、曇天にしろ、われわれの平凡な日常は、常に霹靂によって切り裂かれていく。

人生とはそういうものだ。

歴史とはそういうものだ。

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辰野隆と後藤慶二

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東京駅を設計し、明治建築界の法王とされた辰野金吾の息子辰野隆について考えている。

父金吾は謹厳実直、大変な努力家であったことが隆の残したものからも分かる。しかし息子はその反対に軟弱洒脱であったようだ。漱石荷風の影響を受け、フランス文学を専攻し、パリに留学し、東京帝国大学仏文科の教授となった。本人は、フランス文学の業績よりも映画(特に『外人部隊』や『望郷』など)に凝っていたが、この門下から、小林秀雄三好達治太宰治といった文学者が輩出し、大江健三郎は孫弟子である。人間の幅が大きかったようだ。

明治日本を築いた建築家の息子は、大正から昭和にかけて、日本文学の一水脈を形成した。

同時代の建築家として後藤慶二がいる。司法省に身を置いたので、辰野のライバル妻木頼黄の流れだ。漱石に私淑し『ホトトギス』の挿絵なども描いて、また大正を代表する建築論家でもあった。早世したが豊多摩監獄が残され、のちの分離派建築会に大きな影響を与えた。

文学から建築へ、洋風からモダンへという水脈が感じられる

技術屋の保守性

科学技術は常に進歩しているが、人間とその社会はあまり進歩していない。

僕はそう考えている。

つまり科学技術に関しては常に革新的だが、人間とその社会に関してはどうも保守的なのだ。

僕の周りは圧倒的に技術屋が多く、たいていはそう考えているような気がする。

時に、技術屋の保守性と科学技術の無定見な進歩を批判する文化人がいるが、僕はマスコミに出るカッコイイ文化人よりも、周りにいる汗臭い技術屋を信頼している。

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訪問販売

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僕は学生時代、さまざまなアルバイトをやった。

もちろん経済的な必要からだが、いろいろ経験することが好きだったのだ。

訪問販売を二回やった。どちらも短期間で、たしか春休みだったような気がする。

一つはガス湯沸かし器、もう一つは百科事典のセット。

そのあたりの家を手当たり次第、いきなりドアを叩いて売り込むのだから、ほとんどが門前払い。しかし1日にいくつかはヒットする。他の人と比べて成績は悪くなかった。

ガス湯沸かし器は、日本の経済成長がちょうどそういう時期でもあって、それまでなかった家が据えつけるのは理にかなっているが、問題は百科事典である。有名な学習図書出版社のもので、カラー図版も多く、決して質は悪くないが、何しろ高額なのだ。当時の一般家庭の月収の何倍かである。しかも買ってくれる家は、それほど裕福そうではなく、置き場所があるのか心配になることもあった。販売に成功した時は「やった!」という気分だが、少し後ろめたい。

そして、子供をもつ親が「教育にいい」という言葉にいかに弱いかを知った。

「若さと健康にいい」「綺麗になれる」「子供の教育にいい」この三つの言葉には、魔法のような力がある。

それにつけ込む企業も少なくない。

桑原武夫の蔵書

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桑原武夫さんの蔵書が、遺族に無断で廃棄されていたという。

京都市の図書館に寄贈していたものだが、ダンボール数百個分あり、それが邪魔になったからで、廃棄した職員が咎められた。

桑原武夫は、フランス文学が専門だが、きわめて幅の広い学者で、今西錦司とともに、山岳会京都学派の象徴的な存在であった。密かに尊敬していたのだが、僕の、建築様式の分類と分布の研究、そしてそこからの文化論は、この学派の影響を受けていると感じる。

故松尾稔元名古屋大学総長は、その最後期のメンバーで、豪放磊落、談論風発、僕は気に入られて、よく酒を飲ませてもらった。

それにつけても考えさせられるのは「蔵書」というものの意味である。

実は僕も、名工大の研究室を閉じて、蔵書の処分に困っている。専門書はほとんど大学の准教授に譲ってきたのだが、一般的な単行本や文庫版だけでも相当の量である。家が狭いので、捨ててしまおうかとも思うが、今は絶版で手に入らないものが多いので、どうせ読まないとは思いつつも捨てられないのだ。古い岩波文庫が多く、紙が黄色くなって読みにくい上に、書き込みがたくさんあるから、ブックオフにも出せない。

蔵書はかつて財産であった。

しかしこの情報洪水時代。多くの古い本がネットで読めるし、公共図書館も充実しているし、まさに「断捨離」が時代の趨勢である。いくつも本を出している人間が、あまり本を買わなくなっているのだから、本が売れないと文句を言うわけにもいかない。

本とは何か。蔵書とは何か。改めて考えさせられる。