このところ、社会のオピニオン・リーダーとなる知識人やジャーナリストにお目にかからないような気がする。
情報化社会と言われてからの傾向だ。
本来「情報」とは、慈雨のように「知識」を育てるものだが、集中豪雨のような情報の氾濫は、知識という草木を押し流してしまう。
とはいえ、ネットの世界にも、知識人に似た存在はいる。電子情報の技術に長けた人たちで、これを「情報人」と呼ぼう。情報人は、電子情報の技術に不慣れな人々を「情弱(情報弱者)」と呼ぶ。
僕の周りを見回して、年上の知識人・ジャーナリストはほとんどネットの世界に縁がない。つまりかつての知識人こそが弱者になりつつあるということだ。一種の革命だろう。江戸から明治になって武士階級が崩壊したように、近代社会をリードしてきた知識階級が崩壊する。僕らは、啓蒙時代以来の歴史的転換に立ち会っているのかもしれない。
しかし大衆が発信する時代、情報人もまたその大河に押し流される。その賞味期間は短い。
活字社会は知識人を、情報化社会は情報人を必要とし、大衆発信社会は、単に自分の欲求を反映する「有名人=キャラクター」を求めるのだろうか。
この世界の変化は加速度的だ。