都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

熊野の霊力

夏の盛りに、熊野古道を歩いた。

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まことに山深い土地だ。巨木の森の中、土と石と苔の匂いに霊力を感じる。

三つの大社に参詣した。もとは修験の地であったが、やがて神仏習合となった。

それにしても平安末期、都の貴族たちの熊野詣は頻繁であった。後白河法皇は34回、後鳥羽上皇は29回と、度を越している。いずれも、勃興する武家の力に対抗する人生であった。一カ月近い精進潔斎の旅とされるから、難業でもある。西回りが紀路、東回りが伊勢路。

太平洋側の東京、大阪、名古屋といった大都市では、南は海として開け、北は山深い奥地という潜在意識がある。

しかし飛鳥、奈良、京都と、次第に北上した大和政権にとって、北は琵琶湖から若狭湾につながる水のルートであり、山は南にある。そして深く、神秘的な、故地である。それが熊野であり、紀伊半島なのだ。

大海人皇子も、後醍醐天皇も、北の権力を覆す力を得ようとするとき、南の吉野に下った。大海人は成功し、文字によって大和朝廷を盤石に載せた。律令体制を築き、神武東征と天照皇大神の神話を定め、伊勢神宮を祖神社とした。つまり熊野の神に敬意を表した。後醍醐は失敗し、南朝は途絶えたが、未だ熊野にはそれを支持するような地名が残る。

つまり熊野には、南の山に秘された、北の権力に対抗する霊力の源泉としての意味があるのだ。

「風土力」というものだろう。

僕にも霊力が乗り移るだろうか、そう考えながら長い石段を登った。