カリフォルニア大学バークレイ校の客員研究員だった頃、インタナショナルハウス(ロックフェラーが創設した留学生用ドミトリー ニューヨークにもある 通称アイハウス)に入っていた。食事もついているから一人暮らしにはとても便利だ。
ちょうどベルリンの壁が崩壊して、留学生ばかりでなく、東ヨーロッパから多くの研究者が流れ込んでいたので、僕は年齢の近い彼らとつきあっていた。ロシア、ポーランド、ラトビア、クロアチア、ブルガリアといったところ。多くはコンピューターサイエンスを専攻していて、同じシリコンバレーでも、隣のスタンフォードはすぐに役立つ研究を、バークレイはすぐには役立たない基礎的な研究をという感覚だった。
天才的な研究者もいて「あいつは英語は分かるんだが、今ひとつピンとこない。少しおかしいんじゃないか」というと「いや、あいつは天才だ。教室では教授も一目置いている」という答えが返ってくるような連中。単純にいえば「変人」である。
就職しようと思えばすぐにできるのだが、奨学金を申請すればたいがい当たるので、それで食っている。「この寮にいる方が気楽なのさ」という。
研究者は知的な興味だけで生きているし、アメリカ社会にはそれを許すベースがある。
いろいろ問題のある国だが、知的なもの、変わったもの、創造的なものに対する懐が深いことを感じた。